天翔ける:本編

31. 幽閉されし者

アストルは厄災との決戦以降一時的に監獄へと送られていたが、審問のため一週間ほど前にハイラル城地下の牢獄に移送されたという。
自分から応じたくせに、いざ面会となると緊張して満足に眠ることができず、食事もほとんど喉を通らないまま、ついに面会時間を迎えてしまった。

リーバルはあれから不機嫌な様子のまま、私と本の整理をするあいだも黙々と作業に集中しており、なかなか声をかける隙がない。
面会時間が近づき、迎えの兵士が来たときにやっと、行こう、と声をかけられ、不安ながらも彼の後に続いた。

地下牢は水汲み上げ部屋が近いせいか、空気が少しひんやりとして湿っぽい。
今はほかに投獄されている者はいないらしく、静けさが漂う通路にリーバルと案内の兵士、そして私の足音だけが響く。

最奥の牢の前に着くと、兵士はこちらを振り返った。

「こちらがアストルの牢です。面会は格子越しにお願いいたします」

兵士は敬礼すると、速やかに来た道を戻っていった。

リーバルを見上げると、彼は顔を横に向けたままため息をつき、シッシッと追い払うような仕草をした。
彼の忠告を無視して面会に応じた私のために、ここまで付き添うという約束はちゃんと果たしてくれたんだ。
ぞんざいな態度に寂しくなるが、彼の気持ちを汲まなかった私が悪い。

胸に手をあてて一つ息をつくと、格子の前まで歩みを進めた。

格子から牢内を覗くと、こちらに背を向けて立つアストルを見つけた。
見るたびに恐怖を植え付けられた黒装束にゾクリと背筋が凍る。

「来たか……楽士アイ
そして、リトの英傑……確か、リーバルと言ったか」

リーバルは名を呼ばれたことにこめかみをひくつかせると、腕組みをしてチッと悪態をついた。

「牢獄にも僕の名がとどろいているとは光栄だね」

リーバルの辛辣な皮肉に、アストルは含み笑いを浮かべつつ「実に滑稽だ」と低く呟くと、おもむろにこちらを振り返った。

その素顔に私とリーバルは息を呑む。
フードを脱いだその顔はこれまでのような白塗りではなく、ハイリア人やシーカー族のような自然な発色で、その目にも生気が宿って見える。

「まずは、アイ。お前が私の命運をつないでくれたことに礼を言わねばな」

以前までの冷酷な面影はなく、穏やかな様子にひどく驚かされる。
アストルは息を呑んで固まる私たちにククク……と笑いを潜めつつ、格子の手前の床に腰を下ろし片膝を立てた。
壁と手枷をつなぐ鎖がじゃらりと音を立て、彼のかたわらに流れる。

「さて……さっそくだが」

まぶたを閉ざすと、ゆったりとした口ぶりで言葉を紡ぎ出した。

「王よりご厚情を賜った。私の処刑は執行しないとの思し召しだ」

「そう、ですか……」

アストルがガノンに憑依されている可能性があると示した私の見立てを、まさか王が考慮してくれるとは思わず、心底ほっとした。
けれど、私たちでも驚くほどに、厄災との戦いの最中と今の彼の容姿は目に見えて異なる。
ここまでの変貌を遂げた以上、認めざるを得なかったのだろう。

「あんたのその首が叩き落されるところを拝めないなんてとても残念だよ」

「リーバル!」

リーバルを止めようとする私をアストルは手で制する。

「私とて驚いている。まさか、民にとって仇敵であるこの私が、まさか宮廷専属の卜占師ぼくせんしに命ぜられることになろうとは」

「はあ?ハイラル城に仕える、だって?おいおい、冗談はよしてくれよ。
あんたがこの国で一番重要な場所を何の枷もなしにうろつくなんて想像しただけで空恐ろしいね」

「案ずるな。枷は外されようが、昼夜監視の目がつくことにはなる」

それでもリーバルは納得がいかないようで、腕を組み直しそっぽを向くと、鉤爪の先で石畳をカチカチと打ち鳴らし始めた。

「ガノンの支配を受けていたとて、我が身が犯した罪までは消せぬ。
残り半生をかけ、ハイラル王国に忠義を尽くすつもりだ」

「アストル……」

「最大の禁忌を犯した身でありながら、豈図あにはからんや、末席とはいえ国に仕えることになろうとは、実に皮肉なものだ。
小さな村の出自であるこの私が……」

アストルは額を覆うと、これまでの愚行を戒めるように低く笑った。
諦めのような、何かに吹っ切れたような、肩の荷が下りたような。そんな表情に見えた。

「一つ心残りがあるとすれば……アイ。お前を手中に収められなかったこと、か……」

「ご、ご冗談を。あなたが欲しかったのは、私の力でしょう?」

「さて……どうだろうな」

横目に真っすぐ射抜かれ、不覚にもどきりとしてしまう。
しかし、アストルはすぐに目を反らし、まぶたを閉じるとふっと笑った。

「……いや、よすとしよう。これ以上お前をからかえば、そこのリト族がその翼を血で汚すことになりかねんのでな」

リーバルを振り返ると、彼は背中の弓に手をかけ、アストルを冷めた目で見下ろしていた。
その目が、すっと私にも向けられ、その冷淡さにゾクッと身をこわばらせる。

「……そろそろおいとましてもいいかな?
これ以上あんたの顔を見てると今度こそ脳天に矢を打ちこみたくなる」

「ああ。長らく引きとめて悪かった。せいぜい、幸せに暮らすがいい」

「わざわざどうも。言われなくても幸せにしてみせるさ。あんたが嫉妬するくらいにね」

リーバルはそう言い捨て、私の腕を掴むとぐいぐい引っ張って牢を後にした。
手を引かれながら振り返った回廊の奥からは、アストルの低い笑い声がこだまして聞こえた。

怒りに燃えさかる翡翠を前に向けたまま城内への道を戻っていくリーバルの横顔に、さっきの言葉が何度も脳内で繰り返される。

“幸せにしてみせる”

滅多に口にしない”好き”や”愛してる”からも彼の好意は十分伝わってくるけれど、その一言からは、これまでにないくらいの強い愛情を感じ取った。
彼の口からあっさりと本心を言わしめたアストルに、このときばかりは心から感謝せざるを得なかった。

(2021.5.11)

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