「僕は絶対に歌わないからね!」
英傑のみんなをガゼボに集めゼルダの誕生祝いの提案すると、みんな快く引き受けてくれた。……ただ一人を除いて。
絶対そう来ると思っていただけにちょっとおかしくて笑いを堪えていると「そこ、何笑ってるんだい!」とリーバルは眉間のしわを深めた。
「なかなか名案じゃないか。
かたちに残らずともせめて気持ちだけでもってのは大切なことだよ」
やんわりとなだめるウルボザにリーバルは何か言い返したそうにしているが、相手が年上だからか遠慮して言葉が見つからないようだ。
「誕生日に歌を歌うってなんだか素敵だと思う」
「ゴロンも祝いとなりゃあ太鼓を打って踊るしなあ。
歌ってのも悪くはねえ」
口々に賛成の意を示していく二人に自分だけが後れを取ることが余程不服らしく、言葉を失ってみんなの顔を見まわしていた彼は、苦々しくくちばしの端を歪めながらこぶしを固めて震えている。
内容を告げるまでは協力してくれる姿勢を見せてくれただけに、ここまで嫌がられるとは思わず困ってしまう。
目立ちたがり屋な性格上、歌でも乗り気になってくれるものと勝手に誤解していた。まさかここまでシャイだとは……。
「そんなに歌うのが嫌なら、リーバルは口パクでもいいですから」
「口パクってなんだい」
「声は出さず、口だけ歌っているように見せるってことです」
「それも嫌に決まってるだろ!」
まあ苦手な人は苦手だよな、と代替案を提示してみたものの、リーバルは意地でも首を縦に振らない。
彼がいつもするように仰々しく両手をかかげて首を振れば、ウルボザが小さく噴き出し、それにまたリーバルがムキになる。
腰に手をあててだだをこねる子どものように断固拒否を貫くリーバルにほとほと呆れ果ててため息をつく。
「さっき協力してくれるって言ったじゃないですか」
「そんな小恥ずかしい条件飲めるわけないだろ!僕は内容によると言ったはずだよ。
第一、歌なんてリトの村じゃ女子供のたしなみだ。男が歌なんて……」
「そんなに己の体裁を保つことの方が大事ですか!」
この期に及んで文化の違いまで持ち出してくる彼につい熱くなってしまう。
押し付けたくはない。突発的に思いついて、勝手にみんなを巻き込んでいるだけなのだから。
本当は、一緒にお祝いをしようという気持ちになってくれたならそれだけで良かった。
無理に歌わなくても、そばで一緒にお祝いしてくれたなら、それで……。
だからだろうか。頑なに拒まれるほど、切に訴えた願いや気持ちがないがしろにされているような、複雑な心地になってしまうのは。
気づけば心にも思っていない言葉が口を突いて出ていた。
「意気地なし」
彼のプライドを傷つけるだけの露骨な罵倒にその場の全員が絶句したのが空気を伝ってわかった。
リーバルの目が座る。
「……何だって?」
威圧的な声。完全に怒らせてしまっていることくらいとうに気づいているが、それでも私の意に反して言葉が止まらない。
「リンクなら迷わず引き受けてくれるでしょうね」
リーバルは無表情ななかに静かに怒りを湛えたまま私の目の前にゆっくりと歩み寄り、冷ややかな視線を注いできた。
「あいつを引き合いに出すってことがどういう意味かわかってるんだろうね?喧嘩なら上等だよ」
「その小さなプライドをほんの少し曲げてくれれば、私もここまでのことを言わずに済んだでしょうね」
売り言葉に買い言葉でどちらも一歩も引かず、このやり取りがずっと続くのかと思われたが、意外にも先に折れたのはリーバルだった。
「やれやれ……」
リーバルは言いかけた言葉を飲み込み、投げやりにため息をつくと、私に背を向け、肩越しに目も合わせず無気力につぶやいた。
「アイ、君にはことごとく失望した。
悪いけどその話、僕は辞退させてもらう」
「ま、待って!」
これまでにない雰囲気にようやく我に返った私は、慌てて引きとめようとしたが間に合わなかった。
リーバルは私が止めるのも聞かず高く舞い上がると、嫌味なくらい澄み渡った蒼天に飛び去っしまった。
「アイ……さっきのはさすがに言葉が過ぎるんじゃないかい?
あれじゃリーバルだって意地になって当然だ」
腕組みをしながら小首を傾げてのぞき込んでくるウルボザ。
彼女の言うことはもっともだ。意固地になりすぎて、リーバルへの気遣いを怠ってしまった。
気持ちをないがしろにしてしまっていたのは、私のほうだ……。
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夕方。
これから勇気の泉に発つというゼルダとリンクをインパに頼んで連れて来てもらった。
ウルボザ、ミファー、ダルケルはふたたびここへ集まってくれたが、リーバルは探せども城内のどこにも見当たらず、結局四人だけでお祝いをすることになってしまった。
ガゼボに寄ってくれたゼルダはどこか浮かない顔だったが、私のトラヴェルソの音色に合わせて奏でる和声に胸を打たれた様子で眉を上げて微笑んだ。
このところずっと神獣操作や武器の訓練に励んでいるため、その合間の短時間しか練習できなかったが、みんな歌がとても上手で驚いた。
いつも豪快なダルケルでさえとてもいい声で歌っていたのが一番の驚きだ。
「みんな、ありがとう。元気をもらいました」
「アイがあんたにお祝いをしたいって言うからさ。
みんなでこっそり練習したんだよ」
ウルボザにゼルダの前に押し出され、頬を指で掻く。
「ゼルダ様……」
私は、目を不安げに揺らすゼルダのか細い手を取ると、両の手でしっかりと握り締めた。
「私たちにはあなたの使命を一緒に抱えることはできません……。
ですが、どうか心の重荷だけでも分けてください。
いつも私たちとともにあるということ、絶対に忘れないで」
ゼルダは少しはにかんだように笑い、もう一度小さな声で「ありがとう、アイ」と言った。
ゼルダたちを見送ったあと、四人で話に花を咲かせていたが、陽が暮れるころ、みんな散り散りに部屋へと戻っていった。
みんなの背に手を振り、姿が見えなくなったころにようやく深く息を吐き出す。
結局、リーバルは最後まで姿を見せてくれなかった。
私があそこまでのことを言ってしまった手前、こうなってしまっても仕方がないとは思っていたが、やはりショックはショックだ。
演奏のパフォーマンスは良好だったが、また変なわだかまりを作ってしまったせいで、彼のことがずっと引っかかってしまって、心からお祝いできた自信がない。
「なんでいつもこうなんだろ……」
独りごちた言葉は宵闇の涼しい風に取りさらわれた。
ふ、ともう一息ついて、気持ちを切り替えて部屋に戻ろうとしたとき、背後で微かに何か聞こえた。
振り返ると、風にそよぐ三つ編みがふわふわと漂っているのがガゼボの柱の影からちらりと覗いて見える。……リーバルだ。
気づかれないようにそろりと近づいていった私は、柱の影からこそっと彼に伸ばそうとした手を、すんでのところで引っ込めた。
どうやら小さな声で何か言っていると思っていたのは、彼の鼻歌のようだ。
うろ覚えのようで、途切れとぎれに紡がれるメロディは、私がお祝いの印にと選んだ曲だ。
みんなに教えるとき、彼はあの場にいなかったはずだ。なのに、どうして……。
プライドという名の壁の奥に閉じ込められた真意が確かにそこにあるように感じられ、熱くなる胸を押さえながら、たたずんで聴き入る。
いつも高圧的でその口から素直な言葉が紡がれることはほとんどないけれど、声の温かさには、言葉の壁も、偽りもない。
リーバルの鼻歌はとても澄んでいて、心に優しく語りかけてくるような甘い響きだ。
……いつか、私のためにも歌ってくれるだろうか。
長らくそうしていたせいで体が冷え切ったのだろう。一筋の風が首筋をなぜたとき、歌に夢中になって忘れていた寒さを思い出し、身震いした。
その拍子に鼻がむずむずして、思わずくしゃみが出る。
しまった、と思ったときには、リーバルと視線がかち合っていた。
驚きに満ちた顔を張り付かせたままのリーバルにそろっと近づき、眼前で手を振る。
「もしもーし、大丈夫ですかー?」
リーバルは私の声に反応してはっと目を瞬かせ、首を左右に振った。
状況を再認識したらしく焦燥に顔を歪めると、即座に踵を返し飛び立とうとする。
今度はそう来ることを事前に予測していたため、羽ばたく直前に彼の腕を掴むことで阻止することができた。
「部屋に戻ったんじゃなかったのかい!?何でまだいるんだよ……!」
リーバルは掴まれていないほうの翼で額を押さえばつが悪そうに首を振ると、うろたえるような眼差しで私を振り返った。
言葉の端に潜む本質から彼がここにいる理由に気づいて、はっとする。
じわじわと、心のなかにわだかまっていたものが溶けてゆく。
問いには答えるのも忘れ、腕を掴む手にぐっと力を入れると、感極まって震える声でこう言った。
「ずっと、そこにいてくれたんですね……」
その言葉にリーバルはうろつかせていた視線を私と合わせたが、ぐっと声を漏らすと、耐えかねたのか、ぷいっと顔を反らせて目を閉じた。
「……別に。暇だったから仕方なく来てやっただけさ」
嘘だ。暇なわけ、ない。
彼だって、ほかのみんなと同じくこれまで以上に神獣操作や弓の鍛錬に励んでいることくらい知っている。
だからこそ、余計にわがままを押し付けてしまったことに、罪悪感を抱いてしまう。
そんな私の心情を汲んでか、リーバルは付け足すようにこう言った。
「君が、あんなこと言うからさ……」
「……あんなことって?」
リーバルは片手をすっと掲げると、その手を腰にあて小さくため息をついた。
「自分が生まれた日は一年で一番どうとかこうとか言ってただろ」
「あ……」
“一年で一番特別な日”
彼は、あの言葉を気にかけてくれていたんだ。
ゼルダを祝うためだとしても、私の想いを彼なりに汲もうとしてくれていたことに嬉しくなる。
胸を打たれているところ、水を差すようにリーバルは言い放った。
「他人の誕生日なんて正直どうでもいい。
けど、毎年誕生日を迎えるたびに僕一人が祝わなかったなどと罵られても困るからね」
相変わらず一言、いや、二言も三言も多い。人がせっかく感動していたというのに何ということだ。
やはり表立っては素直に祝う気のない彼に心のなかで”偏屈”と投げつける。
けれど、それと裏腹に私の顔はほころぶ。
彼の真意は直接聞かされずとももう十分伝わっているからだ。
「まったく……あんなに上手なら一緒に歌えば良かったのに」
私もいろいろ言い過ぎた手前素直に感謝を述べることができず、とても遠回しな気持ちを込めてやっと出た言葉がそれだった。
「……何の話だい?」
「さっきそこで鼻歌歌ってたじゃないですか。その、すごくいい声で……」
「歌ってない」
「ふうん。じゃあ、私の空耳かもですね」
めずらしく言われっぱなしなのがおもしろくて調子に乗り始めた私を、しかめっ面で振り返ると、その大きな翼に口を封じられた。
眼前に迫る翡翠に斜陽が差し込み、苛立ちのその奥に入り交じる困惑を照らし出す。
彼らしからぬ様子があんまりかわいくて、ついついからかいすぎたようだ。
「あくまでも君の勘違いに対して釘を差しておく。
僕が歌ってたなんて、口が裂けても誰にも言うんじゃないよ。いいね」
その言葉に翼のしたで口元がにやけていくのを感じる。
二人だけの秘密ができたことが、なんだかちょっと嬉しい。
視線を斜め上にやり鼻歌でお祝いの曲を歌うと、リーバルはうろたえながら私から翼を離した。
こんなに落ち着きがない彼はなかなかお目にかかれない。
いつも私をからかってくるお返しにいたずらな笑みを浮かべておどけたように目を反らし、返答をおあずけにしたまま城内に向けて歩き出す。
「ちょっと待ちなよ。目を見て約束するんだ!」
「ん?何の話ですか?」
後ろからずんずん追いかけてくるリーバルと距離を取ろうと小走りになると、彼は翼をはためかせて一瞬にして距離を詰めてきた。
私を引っ掴もうとする翼は彼の必死な声に反して少し優しく、柔らかな手触りがくすぐったくて声を上げて笑う。
そんな私に彼もいつしかムキな表情を和らげ、軽口を叩き始める。
さっきまであんなにギスギスしていたのが、もうこうして元通りになっていることが何だか嬉しくて。幸せで。
一番星が輝くガゼボは笑い声に包まれていた。
このときの自分がいかに浮かれていたか、来たるその日、まざまざと思い知ることになるとも知らずに。
(2021.4.27)