「誰か!!誰か助けて!!!」
遥か上空から助けを呼ぶ叫びが耳に届き、僕は手にした弓を背に、天高く舞い上がった。
どこだ……!?
翼をはためかせつつ目を走らせ、ふとある一点を注視した。
人間と思わしき女が、手足をジタバタさせながら落下しているのが目にとまる。
身が凍るほどの上空に、翼を持たない人間がなぜ……?
浮かんだ疑問はひとまず頭の隅に追いやり、急いで距離を詰める。
女は恐怖に顔を歪めて叫んでいたが、僕の出現により驚愕に目を見開く。
女の落下に合わせて滑空しながらできる限りそばに近づくと声を張った。
「掴まれ!!」
女は僕の背中にためらいなくしがみついた。
何とか命を救えたことにほっとするものの、それにより頭の隅に据え置いた疑念がふたたび浮上する。
徐々に高度を下げ、着地する寸前、背中にしがみついたままの女を払い落した。
地面に仰向けに倒れ込んだ女は驚いた様子で身を起こそうとしたが、その肩を足で踏みつけ、地面に押さえつける。
背中から弓を取り外して矢をつがえ、女の眉間に狙いをつける。
女はリトを見たことがないのか、どこか物めずらしげに僕の顔と弓を交互にまじまじと見つめている。
矢を突きつけられている状況にもかかわらず呑気なものだ。先ほど上空を落下していたときはあんなに怖がっていたくせに。
面倒だが、村に厄介ごとを持ち込むわけにもいかない。
正直人間に興味なんてないが、念のため身元を確認しておくことにして手短に尋ねる。
「君は何者だい?
翼もない癖に、なんであんな上空にいた?」
しかし、女は呆然と僕を見つめたまま、問いかけに応えようとしない。
調子が狂うな……。テンポを乱されることにだんだん苛立ちが募っていく。
僕の機嫌を察したのか、女ははっと目を瞬かせると、困惑したような声色でようやく名乗った。
「わ、私は、アイといいます」
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小鳥のさえずりに紛れて羽ばたきが聞こえ、煩わしさにまどろみに沈んだ意識がゆっくりと浮かび上がる。
小さな張り出し窓から差し込む光が目の奥を突き刺し、まばゆさに目を細める。
「朝、か……」
腕で光を遮りながら、窓に背を向けるように寝返りを打った僕は、くちばしの先に突如として現れた顔に驚いて体を仰け反らせた。
しかし、上体を固定されているせいで思うように身動きが取れず、ただ目の前で浅く呼吸を繰り返すアイの寝顔を食い入るように見つめることしかできない。
混乱してぐるぐる回る頭で何とか記憶を探り当て、ようやく昨晩のできごとを思い出し、ほっと息をつく。
……そうだった。
数日かけて無事ハイラル城に戻ってきたのは昨日のこと。
アイはすっかり疲れ切ってしまっていて、部屋に着く手前で倒れ込んでしまった。
それをどうにか抱えて部屋まで送ったはいいものの、アイをベッドに寝かせて去ろうとした僕を彼女は呼び止めたんだ。
しかも僕の大切な尾羽をがっしりと掴んで。
生まれてこの方この僕の尾羽を掴んだやつなんてアイを除けば一人もいない。ただの一人も。
そのまま置いていくこともできたはずだが、あんなに切なげな顔で「一緒にいて」なんて言われたら、黙って帰るわけにもいかず。
アイは何を話すでもなく、ただ黙って僕の腰にしがみついていた。
人と眠るなんてこれまでになかったせいで落ち着かなかったが、彼女の寝息に耳を傾けているうちにまどろんで、気づけば朝になっていた。
いや……目覚める前に、夢を見た。
景色が異様に鮮明で、アイが出てきたような……。
何か言葉を交わしたはずなのに、どんな内容だったかまるっきり思い出せない。
なのに、なぜだろう。
ありもしない光景のはずなのに、僕の直感が、錆びついた記憶が、夢の光景を昔から知っていると訴えかけてくる。
「なんだ、この感じは……」
……いや、あり得るはずがない。
アイとはヴァ・メドーの繰り手を頼まれたあの日が初対面のはずだ。
いつかアイとあのときのことを話した際、僕が初めて出会ったリト族だと言っていた。
それに、彼女の言葉が正しければ、違う場所からこの地に転生をしたと言っていたじゃないか。
だったらあの夢のなかの彼女は、この既視感は、一体何だって言うんだ……?
頭が割れるように痛み、額を押さえていると、となりでアイが小さくうめいて体をもぞもぞと動かした。
薄く開かれた目がゆらゆらと揺れ動き、やがて驚愕に見開かれる。
アイはがばっと身を起こすと、即座に僕から身を離し仰け反った。
「リ、リリリリリーバル!?なんでここに……」
ひどく動揺した様子でベッドと部屋を見渡し、もう一度僕に視線を注ぐ彼女の機敏さに、ちょっとおかしくなって噴き出す。
「昨晩、君が僕を引きとめたんじゃないか」
彼女は目をうろつかせていたが、思い出したように、そっか……とつぶやいた。
「まったく、ただでさえ遠征で疲れてるってのに添い寝まで要求されるとはね」
嘘だ。疲れていたのは確かだが、彼女が僕を引きとめたことは結構……いや、かなり嬉しかった。
イーガ団のアジトから彼女を救い出したあと、あんな行為に及んでしまったばっかりに、帰路のあいだ彼女とは少しぎこちなくなってしまっていた。
だからもう一度アイと自然に話せるタイミングを見計らっていた僕としては、彼女が引きとめてくれたことはとても好都合だった。
本心とは裏腹につい嫌味な口をきいてしまったが、恥ずかしくて本当のことなんて言えるわけがない。
だが、相変わらず斜に構えてしまう僕とは違い、アイはいつになく素直で。
気恥ずかしそうに枕に額を擦りつけながらもごもごつぶやいた言葉に、僕は心臓が止まるかと思った。
「だって……そばにいてほしかったから……」
アイは僕の言葉の裏を読むまでは至らず、申し訳なさそうに眉根を寄せて顔をうつむかせた。
なじるといじけるときもあれば、こうしてしおらしくなるときもあり、彼女の心情を把握するのはなかなかに難しい。
……あのときは、この僕を驚かせるほどあんなに大胆だったくせに。
ふと、アイの枕を掴む手に目が留まる。
イーガ団のアジトで縛られていたのだろう、手首にくっきりと青あざができている。
最近今まで以上に練習に打ち込んでいる様子だ。あの晩もきっと笛の練習をしていたんだろう。
そうさせてしまったのは、僕がノッケ川の川辺で彼女を追い詰めるようなことを口走ってしまったせいだ。
あのときは遠ざけるべきと考えるあまり、彼女への気持ちを押し殺し突き放すことでいっぱいだったが、まさかこんな報いとなって返ってくるなんて……。
痛ましい傷に伸ばそうとした手を握り締めると、アイの寝ぐせでぼさぼさの頭をなでまわし、余計ぐしゃぐしゃにしてやった。
赤く染まった顔のままむくれるアイに、鬱蒼とした気持ちがじんわりと収まってくる。
ころころ変わる表情が愛おしくて、尖りのない緩やかな曲線を描く耳に、そっとくちばしをすり寄せた。
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簡単に身支度を済ませると、僕はアイと二人で城の庭園に向かうことにした。
まだ朝が早いせいか城内は人気が少ない。
時折すれ違う兵士たちは、眠気をおくびにも出さず引き締まった顔をしてきびきびと通り過ぎていく。
お堅い城に務めるというのもそれなりに大変なんだな。と横目に見送り、となりであくびをかみ殺しているアイに密かに笑みをこぼした。
庭園の小道を歩きながら、アイはふと思い出したように「そういえば」と僕の前に立ちふさがった。
いつになく目を輝かせ、胸元で両のこぶしを固めている。
「イーガ団のアジトで助けてくれたときのリーバル、今までで一番すごかったです!」
当然の働きをしたまでだが、率直な賛辞に嫌な気はしない。
けれど、どうしたことだろう。今日のアイはなんでこうやたらと素直なんだ。普段はもっと強情な物言いじゃなかったか。
「いつも目にも止まらぬ速さで的を外さないとは思っていたのですが、あのときのあなたは何というか……うまく言えませんが、これまで以上に強く見えました」
彼女から言われなれない言葉にだんだん照れが生じはじめていたとき、ふと最後の言葉に引っかかりを覚えた。
言われてみればそうだ。あのときはアイをさらわれたことへの怒りで我を忘れていたせいかと思っていたが、それにしては普段以上に的確で俊敏に動けていたような気がする。
もしかして……。
「あのとき吹いた音色……もしかして、敏捷性を高める効果でもあるんじゃないの?」
「それだ!」
アイの考えが僕の意見と合致したらしく、肩掛けのバッグからノートを取り出すと、何かを走り書きし始めた。
一度のぞき見たあれは、やはり文字だったのか。
アイははっとして顔を上げ、ノートをばっと体にあてて伏せてたかと思うと、今度は思い出したように胸をなでおろし、ふたたびノートを広げた。
「もう、リーバルには話したんでしたね……」
うかつだったようだ。彼女は自分がここではない世界から転生したということを僕以外の誰にも打ち明けていない。
見ているのが僕だったから良かったようなものの、こんな開けた場所で堂々と広げるこの子もこの子だ。
「ああ。でも、そのノートの中身は君から打ち明けられる前に一度目にしてるよ」
「はあ!?」
さらりと申告するとアイは仰天し、わなわなと震え出した。
「私の日記、勝手に読んだんですか……?」
みるみる真っ赤になるアイの顔。そんな顔を見せられたらますます日記の内容に興味をそそられ、口角が上がる。
一部のページでハイラル文字の勉強をしていたことは何となく察しがついたが、この反応、さては僕に関することでも書き記してるページがあるんだろう。読めないのが非常に残念だ。
「開かれていたページをちょっと見るついでにパラパラめくっただけさ。
そもそも、君の書く文字は読むことができないよ」
大げさに肩をすくめてみせれば、アイは「あ、そっか」と安堵したようにため息をつき、むすっとした顔になった。
「読めなくて結構です!」
「そんなに見られたくないんだったらちゃんと閉じてしまっておきなよ。あれじゃ読んでくれと言わんばかりじゃないか。
君の正体……知られるわけにはいかないんだろ?」
アイの表情が曇る。
人に話せないようなことを僕にだけわざわざ話してくれたのは、僕に対する好意とは別に信頼を置いてくれているからにほかならない。
僕が柄にもなく節介を焼いてしまうのも彼女だからこそだ。
「それが……」
「何の話をしているのです?」
アイが言いかけた言葉に集中していたせいで、背後の気配に気づくのが遅れた。
突如かかった声に口をつぐんで振り返ると、そこには怪訝な顔のインパがで仁王立ちをしていた。
まずい……聞かれたか……?
ただならぬ様子に身構えていると、インパは眉間にしわを寄せ、ずかずかと踏み鳴らしながら僕の目の前までやってきた。
くちばしの先に人差し指を突き立てられ、思わずたじろぐ。
以前にもこんなことあったな……。
大体、こいつはなんでこういつもいつも僕に対して腹を立ててばかりいるんだ?
どことなくアイと重なるが、アイにはあるしおらしさがインパには微塵も感じられない。
彼女の双眼の気迫に相まって、その上の一つ目の突き刺すような視線に何となく居心地の悪さのようなものを感じ、目を逸らす。
「リーバル殿!またアイ様をいじめておられるのではないでしょうね!?」
「……はあ?」
核心を突かれると構えていただけにインパの指摘に思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
どうやら取り越し苦労だったようだ。やはりこいつは少々ずれたところがある。
「君はどうしていちいち邪推したがるんだい?
ただ話をしていただけだよ」
「それにしては揉めているように見えましたが」
なおも食い下がるインパに、アイが僕と彼女の前に身を滑り込ませるようにして割って入ってきた。
「インパ、誤解です!イーガ団のアジトでのリーバルの活躍を私が一方的に称賛していただけで、つい興奮して声を張ってしまっただけなんです。
彼とは親しくさせてもらってますから、どうか心配しないで」
最後の一言は余計だと思ったが、存外アイのほうがインパの性分を理解しているのかもしれない。
インパは彼女の言い分にずいぶん納得した様子だ。咄嗟にしては事実を織り交ぜてごまかすのがうまかったってわけだ。
「そういうことでしたか。以前揉めた様子だったので気にかかってましたが……アイ様がそうおっしゃるのなら安心しました。
……イーガ団のアジトと言えば、攻略のあとしばらくお二人の姿をお見かけしませんでしたが、どちらに?」
あのときはかなり遅れて合流した割に咎められることもなくむしろ姫に無事を喜ばれて安心していたが、まさかこんなところに地雷があるとは。
さすがのアイもうまく言葉が見つからなかったようで、動揺を隠さずしどろもどろに答えた。
「わ、私がけがをしてしまったので、介抱していただいてたんです!」
「なんと、けがをされたのですか!?もうお加減は……」
「僕らのことはどうだっていいだろ。で、こんな朝っぱらから何の用?」
これ以上付き合っていたらいつかボロが出ると判断し、早々に打ち切ることにした。
苛立ちを滲ませながらそう投げつけると、インパはようやく要点を思い出したようにはっとした。
「そうでした!実は……」
インパの話はこうだ。
どうやら、白いガーディアンのなかに残っていたウツシエのデータを解析したことで厄災復活の日が判明したらしい。
それが間もなく迎える姫の誕生日と同じ日だと言うのだ。
「えっ!ゼルダ様、もうすぐお誕生なんですか!?」
「今大事なのはそっちじゃないだろ」
すかさず突っ込んだ僕は、アイの顔をのぞき込んで目を見張った。
アイの目は真剣そのものだ。
「いいえ、大事なことです!厄災復活の日が誕生日だなんて……そんなの、つらすぎる」
「アイ様……」
インパは気持ちに添うように顔を曇らせ、アイの肩に手を置いた。
アイは何か思い立ったようにうつむかせていた顔を上げると、インパと僕の顔を交互に見つめた。
「みんなで、お祝いしませんか」
さすがの僕でさえ同調しそうになっていたところにアイはまた突拍子もないことを言い始め、今度こそ呆れ返ってしまった。
「はあ?間もなく厄災が復活するってときに何言ってんの」
「だからこそなんです!今じゃないと……だめなんです」
アイは引き下がらなかった。
いつもはここらで怖気づく彼女がいつになく本気の眼差しで僕を説得しようとしている。
なぜここまで躍起になるのか。僕にはない感覚に正直戸惑う。
アイは真っすぐに僕を見つめ、息を吸うときっぱりとこう言った。
「私のわがままだとわかっています。
だけど、これから毎年誕生日のたびに厄災と戦ったことを思い出さなきゃいけないなんて……あまりに酷です。
自分がこの世に生まれた日って、一年で一番特別な日なのに……」
「アイ……」
今にも泣き出しそうな顔に、すぐにでも抱きしめてしまいたい衝動に駆られる。
だめだ……ここはぐっと堪えろ。なんせ、今はあのインパがいるのだから。
「だからせめて、私たちとともにあったことを一番に思い出してほしいんです」
アイの言葉に、僕はようやく納得した。
“厄災復活の日ではなく、仲間と厄災に立ち向かった日”
そう思わせたいと言いたいのだろう。
つくづくアイの甘さには困ったものだ。けど……その発想は悪くないと思う自分がいる。
まったく……彼女に感化されつつあるなんて僕も変わったものだ。
「リーバル、インパ、お願いします。
私は、ゼルダ様の誕生日をできればみんなでお祝いしたい。手伝ってくれますか」
僕が同意しようと口を開く前にインパがアイの両肩をがしっと掴んだ。
いつもいいとこ取りしやがって……。
「もちろんです、アイ様!きっと姫様も喜ばれますよ!」
「……そこまで言うなら付き合ってあげる。
でも、用意するにしても何か考えてあるのかい?城下町の住人はほとんど避難していて開いてる店はほとんどないし、これから地方に買いに行くにしても到底間に合わないんじゃないの?」
僕の指摘にアイは顔を輝かせると、きりっとした面立ちで胸を張った。
「リーバル、何もかたちに残るものばかりがお祝いの印ではありませんよ」
「どういう意味だい……?」
言葉の意図が汲めず両手を掲げてみせると、アイは人差し指を僕のくちばしの先に突き立てた。
「音楽の力は、偉大です」
(2021.4.26)