天翔ける:本編

18. 砂漠の交易街

数日の野宿を経て、今日の明朝ようやくゲルド砂漠に突入した。
砂漠を歩き始めたときには上着を着込んでいてもそこそこ冷えていたのが、今や身にまとうものすべて脱ぎ捨ててしまいたいほどの猛暑だ。

猛暑どころではない。こんな熱砂のなかで服なんて脱げば、皮膚に大やけどを負ってしまうに違いない。
先ほどゼルダ様からいただいたヒンヤリ薬がなければ、こんなものでは済まされないという。恐るべし、砂漠。

「暑い……」

真昼の砂漠はデスマウンテンほどではないが地獄だ。
見渡す限りの砂丘に立ち昇る陽炎が、じりじりと体力を奪っていく。

汗で腕や首回りにじっとりと張り付く服が気持ち悪くて、袖まくりをし、服の胸元をつまんで風を送り込んでいる私を二度見たインパが「わああああ!」と突然奇声を上げ始めた。

アイ様!はしたない行動はお慎みください!
淑女たるもの、このような厳暑においても涼やかな佇まいを保つべきです!」

「えっ?」

彼女の言葉に周囲を見回す。
前を行く兵士たちの甲冑から覗く顔が、少し引きつって見えるのは気のせいだろうか。
よく見ると、あのリンクまでが少し赤らんだ顔でこちらに見入っており、インパの発言の意図がこの世界の作法や貞操観念によるものだと悟る。

「す、すみません!!」

慌てて袖を下ろしながら謝罪すると、最後尾をついてきていたリーバルが私のとなりをすっと過ぎて行った。
ドシャドシャと砂を踏み鳴らしながら兵士やほかの英傑たちを追い抜くと、先頭を行くリンクに突然嫌味を垂れだした。

「これから戦いの準備ってときに何色気づいてるんだい、リンク?」

あざけるような物言いに場が凍り付く。
ゼルダが困惑したようにリンクとリーバルの顔を交互に見るなか、リンクはにらみ続けるリーバルにちらりと視線を送ったきり無表情に戻ってしまった。
一連の流れを呆れたように見やりながらインパがこそっと耳打ちしてくる。

「リーバル殿とはあれからどうなのでしょうか?」

「はい!?」

思わず声が上ずってしまったが、インパとはこのところ任務で一緒になることはあってもゆっくり話す機会がなかったことをすぐに思い出す。
そうだ、私とリーバルが仲たがいをしているものと勘違いさせたままだった。昨晩のことを聞かれたのかと思ってつい焦ってしまった。

「……少し、打ち解けられたように思います」

迷いつつそう答えると、インパはあわあわと口に手を添えながら叫んだ。

「ええっ!あの嫌味が鎧をまとっているような方とですか!?」

「インパ、聞こえますよ……!」

ふわりと向かい風に乗って後ろにひとっ飛びで戻ってきたリーバルは私のとなりに降り立つと、インパをギロっとにらむ。
この二人は犬猿の仲なのだろうか。顔を突き合わせるとわかりやすいくらいお互いの目がすっと座る。

「嫌味が鎧をまとってるって誰のことだろうねえ、インパ?」

「これは失敬。お耳を汚してしまいましたか」

両翼を広げながら不服そうにそう言う彼にインパは冷笑を浮かべながら仰々しく応じた。

「まさかとは思うけど、僕のことを言ってるんじゃないだろうね?」

「リーバル殿を名指しした覚えはありませんが……そこまで過敏になるということは、お心当たりがあると考えても?」

「……何だって?」

ただでさえ熱気でくらくらきているというのに、私を挟んで熱烈なせめぎ合いが続けられ、だんだん意識が朦朧としてくる。

あ、やばい、倒れそう……。

ぐらりと体が傾き、地面が近づいてくるかと思ったが、ぐっと上体を支えられる。

伸ばされた紺色を辿ると、リーバルが気遣わしげにこちらを見下ろしていた。
彼は私と目が合うと、何も言わずにすっと顔を反らした。

「あ、ありがとう……」

気恥ずかしくなりながらお礼を言って体勢を整えると、インパが覗き込んできた。

アイ様!具合が良くないのですか?」

インパの声に周囲が立ち止まりこちらを心配し始めたので慌てて取り繕う。

「大丈夫です、ちょっとふらついただけ……」

「ゲルドの街まであともう少しです。
きつかったら無理せずお声がけくださいね」

インパの気遣いに笑みで応え、私の少し後ろを歩くリーバルを振り返る。
リーバルは横向けたままの顔を遠くの砂丘に向け、どこかぼんやりした様子だ。

バルコニーでの夜以降。
リーバルはいつも通りと言えばいつも通りだが、任務の合間やこうした移動中は上の空になっていることが多くなった。
今のように気を紛らすように景色をぼうっと眺めたり、ブツブツ一人で自問自答しては頭を抱えたり。
やけになって木に矢を打ちこんでいるのを見かけたこともある。
あまり自分の葛藤を人に見せたがらない彼があれまでに悶々しているのは、何だか……何だか……。

「か、かわいい……」

思わず心の声が外に出てしまった。
小声のはずだがリーバルは聞き漏らさなかったようでじろりと横目ににらまれる。

“誰がかわいい、だって?”

“男に向かってかわいい?”

“僕に対してその発言、見下げてるとしか思えないんだけど?”

私をじっと睨み据え続ける目がそんな風に咎めてくるようで、さっと顔を前に向ける。
いけないいけない……頭が朦朧としているせいだ。気をつけないと……。

道中幸いにも敵襲に遭うことなく、無事ゲルドの街に到着した。
高い壁に覆われて日が差し込まず、高低差のある水路が敷かれてあるためか、街中は外よりも涼しく、まるで冷房に当たっているような心地だ。

「はあ……涼しい……」

清らかな水の音さえも心にゆとりをもたらす。

ゲルドの街はおきてにより男子禁制らしく、街中には観光客含め我々一行を除いて女性の姿しか見かけない。
今回は特例ということで、ウルボザのはからいで英傑のみ入ることを認められた。
お付きの兵たちは街の入り口で解散し、以降は作戦決行まで近くのオアシスにて待機するとのことだ。
インパはその統率のため彼らとともにオアシスへと引き返していった。

旅の疲れを癒すため、一度休息時間を設けることとなり、ゼルダはウルボザとともに自室へと行ってしまった。
二人はゼルダが幼少のころからの付き合いだとウルボザが初対面のころに言ってたっけ……。積もった話もあるだろう。

ダルケルは行商で来ているゴロン族たちのなかに知り合いがいるとのことで話し込んでいるし、ミファーは思い切った様子でリンクを誘い、二人で露店を見て回っている。

となると、残されたのは二人。

「これからどうしましょうか……」

リーバルを見やる。
彼は腕組みをし考えごとをするようにあごに手を置いていたが、ちらりとこちらを見ると、ぼそっとこう答えた。

「……デートしようか」

「へ?」

聞き間違えたのかと思い思わず間抜けな声が出てしまった私に、彼は即座に声を張った。

「せっかくの休息なんだしちょっとくらい見て回ろうかって言ったんだ」

ぶっきらぼうにそう言い直されてしまったが、それでも彼なりに初めてお誘いしてくれたことに胸を打たれ、顔がほころぶ。

「……うれしい」

素直にそうこぼした私にリーバルは目を見開く。
さっと周囲を見回し、少し頬を染めながら片翼を差し出してきた。

え……これって……。

「ほら、さっさとつなぎなよ」

感激で胸を詰まらせていると、気恥ずかしそうにそう急かしてきた。

目を閉じ顔を背けている彼にまだ笑みが収まらぬまま、彼の手を取ろうとして、一つ問題が浮上した。
大きすぎてどこを握ればいいのかわからない。

そっか、リト族と人間は同じように手をつなぐのが難しいのか。

とりあえず、一番つなぎやすそうな小指を握ってみる。

リーバルははっとしたように目を開くと、握られた小指を二度見した。
かと思えば、うろうろと視線をさまよわせ、眉間にしわを寄せてつないでないほうの手で額を覆った。

「かわいすぎるだろ……」

顔を背けながら何かぼそぼそとつぶやいたリーバルの言葉はよく聞き取れなかったが、目の周りが少し赤くなっている。
差し色の赤ではないその色がめずらしく、だんだん私まで気恥ずかしくなってくる。

露店商を見て回りながら、ハイラル城下町にはない物珍しいものに目を奪われる私のとなりで、リーバルもまた少し楽しそうにきょろきょろと目移りさせている。
ふと、ヒンヤリメロンのお店で足が止まる。
その場で食べられるようにカット販売もされているようだ。

砂漠を越えてきてすっかり火照った体にちょうど良さそう。

「リーバル、一緒にヒンヤリメロン……」

しかし、今までとなりにいたはずのリーバルの姿はどこにもなく。

「あれ?おかしいな。どこに行ったんだろ……」

先に行ってしまったのだろうか。ヒンヤリメロンを一切れ買い、向かったであろう方向に急ぐ。

「あ、いた!」

リーバルは少し先の露店にいた。
片翼を後ろに組みながら店主と何やら話し込んでいるようだ。
買い物をしているらしく、店主がリーバルが指さしたものを包んでいる。

近づきながら見上げた露店の看板には、鉱石のようなものが描かれている。アクセサリーショップか何かだろうか。

「リーバル!」

包みを受け取りこちらに戻ってくるリーバルに声をかけると、彼は私を見つけるなりぎょっとしたような顔で包みを後ろ手に隠した。

「そこにいたんですね。何か買ったんですか?」

リーバルは私がのぞき込もうとするのを拒むように体を向かい合わせてくる。

「……何だっていいだろ。そんなことより、何だいそれは?」

「あ、これ?ヒンヤリメロンです!さっきそこの露店で……」

串に刺して一つ差し出すと、リーバルはそれを私の手から食べた。
急に迫ってきた顔にドキドキしながら見つめていると、リーバルはぱっと目を輝かせた。

「へえ……おいしいじゃないか!」

初めて食べたのだろうか。すごくうれしそうだ。
あどけない笑顔から目が離せずにいると、はっとしたように目を瞬かせ、途端にツンと目を閉じてそっぽを向いた。

「……一人にしてごめん。
僕、こういう交易の場に来る機会なんて今までなかったからさ。つい夢中になりすぎたよ」

素直に謝る彼にらしくないなと思う。
これまで村を守るために娯楽の時間を割いてまで自分を高めることに注力してきたんだろう。
ささやかな休息のあいだだけでも、めいっぱい楽しんでほしい。

ばつが悪そうな顔でうつむいたままのリーバルに、ヒンヤリメロンを串に刺し、もう一度差し出す。

「いいんですよ、今くらい羽を伸ばしたって。
私はあなたがそうして楽しそうにしてるのがすっごくうれしいです!
無事に平和を取り戻したら、もっといろんなとこに行きましょう」

リーバルは深く目を閉じると、切なげに微笑んだ。

「そうだね……」

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うっすらと笑みを湛えた石彫りの女神像を手に、深くため息をつく。
女神像の真ん中に埋め込まれた翡翠に映る自分の情けない面に舌打ちすると、ベッド脇の台に広げた包みに無造作に放った。
ベッドに体を横たえ、腕に頭を乗せる。

砂を固めた上に寝具を敷いただけの硬いベッド。
壁に掘られた小さな穴に灯された橙の灯りは幻想的で、見つめているだけで眠りに誘われそうになるが、雪のにおいが混ざったそよ風に揺られながら眠れる故郷のベッドが少し恋しいと思ってしまう。

「やれやれ……」

最近多くなったため息をまたこぼして、ベッド脇の台を見下ろす。

「結局渡しそびれたな……」

ひとまず、明日はいよいよイーガ団と決着をつけるときだ。
この戦いが落ち着いたらアイに渡そう。

そう心に決め、意識をまどろみに沈めた。

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みんなが寝静まった後、私はトラヴェルソを手にこっそりと宿を抜け出した。
このところ暇を見つけては練習するようにしていたが、今日は砂漠を渡り街を散策して、そのあとは作戦会議に食事会と結局深夜まで一度も吹けていない。

少しでも触れておかないと落ち着かないのもあるけれど、あともう少しで新しい技が編み出せそうなのだ。
なぜそう感じるのか自分でもよくわからないが、以前つむじ風を起こす曲を覚えたときのあの感覚が起こりそうな予感がしている。
それがどんな技なのか皆目見当もつかないけれど。

一度街の外に出て、人気のない場所を探す。
外に建ててあるテントは昼間は人が使っていたが、今は誰も利用していないようで、木箱など元々置かれていたであろうもの以外何も置かれていない。
さすがにそのなかに入るのはためらわれたので、そのそばに立ち周りに誰もいないことを確認すると、ようやくトラヴェルソを構えた。

街から暖気が流れてくるおかげで凍えるほどではないが、砂漠の夜は寒い。
少し吹いただけで手が震えてくる。

昼間暑かったせいでトーガは荷物に入れっぱなしだ。
ちゃんと羽織ってくるべきだった……。

いやいや、ちょっと寒いくらいでへこたれるなんて。
リーバルなんてあの雪のなかいつも朝晩飛び回って弓の練習していたんだ。彼をもっと見習わないと。

寒さを紛らすように、トラヴェルソの音色に耳を傾けながら昼間リーバルと街を歩いたことを思い出す。
彼のあんなに楽しそうな顔を初めて見た。
いつもクールを装って、勝ち気で、口を開けば嫌みったらしい言葉ばかり並べ立てている彼が、あんなにいい笑顔を私に見せてくれた。
私も何だかうれしくて、楽しくて。あのひとときがずっと続けばいいなって、心から思った。

あの笑顔をもう一度見たい。
リーバルには、いつだって笑顔でいてほしい。

だから、もっとがんばらないと。

「……見つけたでござる」

頭上からかかった声にはっと顔を上げる。
しかし、視界に捉える前にその影は消え去り、すかさず背後を取られてしまった。
羽交い絞めにされ、身動きが取れない。

肩越しに振り返り、目を見開く。

「あなたは……!!」

イーガ団の幹部らしき大男だ。
アッカレ砦でリンクに圧されて撤退したはず……!

脇にかけられた腕を殴りつけて引きはがそうとするが、抵抗もむなしくその大きな手で手首をがっしりと掴まれてしまう。
彼が上体をかがめたことにより左右に分かれた髷が前に垂れる。
赤い目が描かれた面からは彼の表情を読み取るのが困難で、それがより不気味さを醸し出している。

「お前を連れてこいとのご命令だ。楽士アイ

「だ、誰から……?」

「我らが総長コーガ様からだ。……いや、この場合はあの占い師か……?」

「占い師……」

直感的に、あのフードの男がよぎった。……嫌な予感がする。

「……嫌だと言ったら?」

「力ずくで連れて行くまで」

その言葉を最後に、私の体はぐらりと傾く。
首に手刀を入れられたらしく、一瞬痛みが伴った。

地面に倒れ伏し意識を手放す瞬間に見た男は、相変わらず表情の読めない面の顔でじっと私を見下ろしていた。

(2021.4.23)

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