夕刻。
キャンプ周辺の生態調査を終え、異常がないことを確認した私たちは、リト族や登山客がよく利用しているというクムの秘湯にて旅の疲れを癒すことになった。
キャンプは秘湯のすぐそばだが、女性陣に配慮して着替えのためのスペースと簡単な仕切りをリンクと兵士たちによりこしらえられた。
私たちが入浴中、温泉の周辺は男性陣が見張ってくれるとのことで、魔物の襲来を恐れずにゆっくり入れるのはありがたい。
ミファーはゾーラの体質で湯に浸かることができないらしく、近辺の水場に向かうという。やっと女水入らずで話ができると思っていただけに少し残念だが、体質なら仕方がない。
リンクのことを聞き出すチャンスだと思っていたが、それは夜のお楽しみにしよう。
修学旅行気分で夜のガールズトークを想像してにやけていた私は、このあとまさか自分がその標的にされるなどとは、少しも考えていなかった。
ウルボザ、ゼルダ、私の三人は、頭と体にそれぞれ巻いたタオルが木枯らしで飛ばないように押さえながら、秘湯の岩の裂け目を縫い、奥の小滝に向かった。
滝つぼに身を寄せながら湯に浸かり、うっとりとため息をこぼす。
「はあ……染みわたる……」
「若いのになに年寄りくさいこと言ってんのさ」
ウルボザのツッコミに、ゼルダがクスクスと笑みをこぼす。
座高の高いウルボザは肩まで浸かれず、日に焼けた豊かな胸が湯に浮いて、谷間がちらりと顔を覗かせている。
濁った湯のなかで自分の胸を確認し、もう一度、今度は諦めのため息を漏らす。
私とウルボザのあいだにちょこんと座るゼルダをちらりと見やる。
ゼルダは昼の一件以来少しだけ元気を取り戻したようで、ずっと沈んだままだった表情に笑顔が浮かぶようになっていた。
彼女が真に憂いを晴らすには、彼女自身が力に目覚め、そして、ガノンを封じること。これしか道はないのだが、それでも、束の間でも心の枷を解いてあげられたらと思う。
私たちが側にいるんだってこと、どうか、忘れないでほしい。
「しかし、ひと月前まで頑なに顔を見せようともしなかったあんたが、今やこうして私らと風呂を共にするまで心を開いてくれるようになるとはねえ」
しみじみとウルボザがつぶやいた言葉に、顔を上げたゼルダと目が合う。
ずっと見つめていたことを悟られないように即座に目を反らせたが、かえって不自然だったかもしれない。
「どういう風の吹き回しだい、アイ?」
たたみかけるように問いかけるウルボザの目は、私の胸中を見透かすように弧を描いている。
「どうしたのですか、二人とも」
ゼルダは何のことかわからないようで、私とウルボザを交互に見やりながら、きょとんとしている。
「な、何が言いたいのですか、ウルボザ?」
視線をさまよわせながらはぐらかしてはみたものの、さすがは恋愛講座なるものを開講しているというゲルド族。
嘘をつくのが苦手な私の下手なごまかしなど通用するわけがなく。
「リーバルに恋してるんだろう?」
ウルボザの暴露に私以上に驚いたのは、ゼルダだった。
「ええっ!そうなのですか!?」
天井が開けているとはいえ、高い壁に覆われたこの空間は声が反響しやすい。
ウルボザはすかさずゼルダの口をふさいでくれた。元はと言えば、勝手にバラしたウルボザのせいなのだけど。
ウルボザの手をはがしながら「ごめんなさい……」とつぶやいたゼルダは、食い入るようにこちらを見つめてくる。
その目が、期待と好奇心に満ちあふれている。
「このところ以前よりも仲睦まじげだとは薄々感じていたのですが……もしや、お二人は交際を……!?」
「まさか!」
熱くなる頬に両手をあてて冷まそうとするが、湯船に浸かっていた手はあたたかく、むしろ頬のほうが冷たい。
ああ、のぼせてしまいそうだ。
「……私の、一方的な片想いです」
つぶやいた言葉は、思いのほか心に重くのしかかった。
彼の言動は思わせぶりなようでいて、その実私をもてあそんで楽しんでいるだけのようにも取れる。
へたに期待を寄せてしまうたび、見透かしたようにするりとかわされ、いつも掴みどころがないのだ。
そもそも、最初から印象が悪すぎたかもしれない。
彼の挑発に易々と乗って、逆上して頬を殴って。
彼が傷つくことも考えず、酷いことを言ったこともあった。
そんな私が、今更彼に振り向いてもらおうだなんて、虫が良すぎる。
一方的な片想い。
悲しいけれど、その事実を、受け止めるしかないのかもしれない。
「……何を言い出すかと思えば」
ウルボザは、腕組みをすると、困ったように笑みをこぼした。
「まだ何も始まっちゃいないんだろう?
最初から諦めてどうするのさ」
「でも!彼はリト族で、私は人間なんですよ。
異種族同士で恋愛感情が芽生えるなんて、おかしくないんでしょうか……」
私がつぶやいた言葉に、ゼルダはあごに手を添え「うーん」とうなった。
「確かに、リト族と人間が恋愛関係を結ぶといったことは聞いたことがないかもしれませんね……」
「リト族は部族内で妻を娶るからね。
けど、前例がないってだけで、夫婦になれないことはないんじゃないか?」
二人の言葉に、一喜一憂していた私は、ウルボザの次の言葉に期待を大きく膨らませることになる。
「事実はどうあれ、リーバルのアイを見る目……あれは、私らに向けるそれとは質が違うと思うよ」
あのあとも二人に根掘り葉掘り聞き出され、身も心もすっかりのぼせてしまった私は、先にあがらせてもらうことにした。
すっかり日が傾いて、空には夕焼けに青がかすみ始めている。
昼間より空気が冷え込んでいるが、火照った体にはちょうどいい。
温泉水を含んだ重いタオルを外すと、乾いたタオルを巻きつける。
頭に巻いたタオルを外し、櫛で髪をとかしていると、ユキイロギツネがすぐ足元を抜けていった。
「あっ!」
驚いた拍子に櫛を温泉に落としてしまった。
「ああ、どうしよう……見つかるかな……」
浅瀬に落ちたようだったが、濁り湯のせいで場所の特定が難しい。
その上、あたりが暗くなってきたせいで余計探しづらい。
タオルがずれ落ちないように結び目を握り、湯に足を入れたとき。
「……何をしているんだい?」
「わわっ、ひゃあ!!!」
頭上からかかった声に肩が跳ね、すくっと体勢を正す。
その拍子に温泉のぬかるみに足を取られ、体が後ろに傾いた。
ぐらつく体に固い衝撃が来ると思った瞬間。
ふわりとしたした感触に身を包まれた。
その正体が何かなど考える余裕もなく。
「うわっ!」
私とは別の声が振ってきたと思ったときには、視界が反転し、目の前が黄色一色に染まった。
「く……
まったく、そそっかしいにも程があるよ……」
間近で低くささやかれた憎まれ口に、私の鼓動はどんどん加速してゆく。
リーバルは、私の頭と背中をかばうように片手で覆い、もう片方の腕を地面についていた。
私が倒れないように支えようとしてくれたようだが、間に合わず、彼も一緒に倒れ込むかたちになってしまったらしい。
彼の大きなくちばしが私の口元のわずか先にあり、お互いの白い吐息が混ざり合っては、宵闇に溶けてゆく。
闇に飲まれ色濃く影が落ちる紺色の羽毛。
そのなかでも唯一輝きが損なわれない翡翠の目は、その瞳孔を広げ、いつもよりも丸みを帯びている。
“リーバルに恋してるんだろう?”
脳裏にウルボザの言葉が蘇り、ばくばくと耳に痛いくらい心臓が早鐘を打つ。
「大丈夫かい……?」
何も言えず固まっている私を気遣うようにもう一度声をかけられ、私は何とか気持ちを押し殺してこくこくと頷いた。
「やれやれ……この僕を巻き込むとは言い度胸……ーー」
私をゆっくりと抱き起こしたリーバルは、両膝をついて乱れた両翼を整えていたが、こちらを二度見して、ぎょっと目を見開いた。
言葉をつぐんだ彼は、片手で顔を覆いながら、もう片方の手で足下を示す。
「……はだけてるんだけど」
どうやら、転んだ拍子に巻きつけていたタオルのスリットがめくれてしまったらしい。
太ももがあらわになり、危うくタオルの内側が暴かれてしまう寸前だった。
「わああ!ごめんなさい!!」
思わず飛び出した謝罪に、いやこの場合”ごめんなさい”はむしろリーバルなのではなどとなすり付けるようなことを浮かべている自分は、きっと余程混乱している。
「アイ!いったい何が……って、リーバル!?
あんた、アイに何をした!!」
「ウルボザ!誤解です!!」
「チッ」
私の悲鳴に駆け付けたウルボザが指を構えたのと、リーバルが空高く舞い上がったのは、ほぼ同時だった。
何柱も落雷を轟かせるウルボザをゼルダと二人がかりでどうにか鎮め、どうにかこうにか事情を説明して誤解を解くことはできたが、あらましを把握したウルボザはそのあと終始うっとりと私をからかっては何度も背中を叩いてきた。
ダルケルほどではないが、そこそこ痛い。
ウルボザが、私が説明した状況を口にするたび、先ほどのリーバルの心配そうな顔が何度も浮かぶ。
そして、タオルで隠していたとはいえ肌を見られたことに羞恥心が沸き上がる。
「うう……穴があったら入りたい……」
着替え終え、タオルに顔を埋める私をウルボザがなおも「アイは本当にかわいいやつだ」といじり倒してくるものだから、このあとキャンプに帰ったあと、晩ごはんが喉を通らず。
みんなが食べ終えたころようやくキャンプに戻ってきたリーバルの顔をしばらくまともに見れなかったことは、言うまでもないだろう。
(2021.4.16)