天翔けるII

プロローグ

ハイラル城・地下深部。
螺旋らせん状に続く地下通路を、松明たいまつの明かりだけを頼りに下りてゆく。
燃え盛る炎は私たちの顔をくっきりと照らし出すほどに煌々と光を放っているというのに、辺りの闇はそのまばゆい光が行き渡らないほどに深く、濃い暗闇が一帯を支配している。
無骨に敷き詰められた古い石畳に足を取られないよう慎重に進むなか、ミファーののんびりとした呟きがこだます。

「ハイラル城の地下がこんな風になってるなんて知らなかった」

「ええ。城の地下については代々禁忌として王族内で語り継がれてきたので、私も存在することは知っていましたが、ここまで広壮な造りだとは想像もしませんでした」

ゼルダの説明に、そうだったんだなあ、と相槌を打ったダルケルはあごをさすりながら周囲を見渡した。

「こんな深い穴、ゴロンの採掘の腕を以てしてもなかなか難しいってなもんだ。底まで掘るのにどれだけの時間と労力がかかったんだろうなあ」

ふん、と乾いた嘲笑が響く。先人の成し遂げた偉業に感心するダルケルに反し、リーバルは「暢気なもんだね」と呆れたようにこぼした。

「まったく……どこまで続いてるんだか。これで”何もありません”だったら、とんだ骨折り損だよ」

「誰かさんが下までひとっ飛びして確かめて来てくれたら助かるんだけどね」

冗談めかしながら「ねえ?」とリーバルを覗き見るウルボザに、暗に自分が宛てにされていると察してか、リーバルは露骨に顔をしかめた。

「夜間の飛行訓練をしてるとはいえ、ここまで暗いとさすがに無理だよ。ま、松明に変わる明かりを身につけられれば話は変わってくるけど」

みんなの話に耳を傾けていた私は、リーバルがそれとなく呟いた一言に思い立つ。
それなら、と口を開くと、みんなの視線が一斉にこちらを向く。

「私が下りて確かめてくるのはどうでしょうか?ゼルダ様との実験で物を手に持ちながらでも浮かべるとわかったことですし、松明くらいなら……」

だなんて提案してはみたものの、英傑の一人とはいえ戦闘慣れしているわけではない私が一人で行くのはさすがに不安が大きい。
長らく封鎖されていたせいか地下は魔物の巣窟と化しており、ここまで下りてくるまでのあいだにもたびたび魔物と出くわしてきたのだ。
私自身が抱く懸念をみんなも同様に浮かべているらしく「松明を持ちながらじゃ危険すぎる」「もしものことがあったら」と口々に述べている。

「どんな敵が現れるかもわからないってのに、援護向きの君を一人で行かせられるわけ……」

リーバルが捲し立てるように言いかけたときだった。

「……別行動は危険だと思う。カースガノンに神獣を乗っ取られたとき、誰もが痛感したはずだ」

沈黙を貫いていたリンクが意を示した。彼の言葉は重々しくも説得力がある。
皆一様に息を詰まらせながら同調するように頷くなか、リーバルだけは妙に取り澄ましたように腕を組み「君にしちゃ、もっともなこと言うじゃないか」と小さく呟いた。
ゼルダは珍しく自分の意思で意見を述べた従者を微笑ましく見つめ、みんなを振り返る。

「リンクの言う通りです。皆、絶対に離れてはなりませんよ」

禁断の地に初めて足を踏み入れたであろうゼルダの目は、先代が目にすることさえ叶わなかった未知なる景色への関心に満ちあふれている。
そんな彼女を横目に、私は何とも言い知れぬ不安感を募らせていた。

どれほど歩き続けたのか。
時間の感覚が失われるほど長らく下りが続いていた道がいつしか平坦となったころ、今度は坑道のように曲がりくねった回廊が続いた。
時折開けた吹き抜けにたどり着くとまた下り、そうしてまた回廊が続く……といった具合に、どこまでも複雑に道が続いている。
回廊の至るところに備蓄や道具と思わしき遺物が残された倉庫のようなものが点在してはいるが、それ以外に人の暮らした痕跡はない。
なぜ、ここまで長く複雑な道を作る必要があったのか。一体何のために……。

暗がりの奥に明かりが見え始めたころ、舗装されていた回廊とは異なり無骨にむき出しとなった土壁が現れた。
明かりにいざなわれて奥へ進むと、少し開けた場所に夜光石のような仄かな明かりを放つ鉱石の埋まった壁と小さな湧き水を見つけた。

「少し休憩を挟みましょうか。まだ先は長いですし、今のうちに食事を取っておいてください」

ゼルダの一声に、各々荷物や武器を下ろし、身体を休め始めた。

久しぶりに腰を下ろすと、緊張して忘れかけていた疲れが押し寄せてくる。
ハイラル城の地下というくらいだからと結構な規模を覚悟してはいたけれど、こんなに果てしないなんて。
クタクタになるまで歩いたのは、数年前……厄災との戦いに向けて布陣を整えるために各地で奔走していたとき以来だろう。
みんな涼しい顔をして見えるけれど、いくら英傑だからって疲れてないはずはない。

「私は念のためこの通路の奥を見てくるよ」

「お、それなら俺も付き合うぜ」

「ウルボザ、ダルケル。無理せずあなたたちも少し休んでください」

「なあに、心配することはないよ、御ひい様。もしも奥に何かいるようならすぐ知らせに戻るから安心して待ってな」

ゼルダの肩になだめるようにそっと手を置くと、足音を忍ばせながら階段を下ってゆく。
ウルボザの背中を心配そうに見送っていたゼルダの背後で、岩の転がる音がした。
どうやらふたたびダルケルにロース岩を勧められたらしいリンクが、何やら険しい表情でロース岩と睨み合っている。大方、ダルケルの厚意に応えて食べるべきか悩んでいるようだ。

「あれ?確か君、前はおいしそうにがっついてなかったっけ?」

嘲るように笑いながら揶揄やゆするリーバルにリンクの目が座る。
仏頂面が崩れ図に当たった反応が返ったことに嬉々として笑みを深めたリーバルは「まあ、今のは冗談として、食べられないなら無理しないほうがいいんじゃない?」と続けながら、さりげなく私のかたわらに腰を落とした。
ここに至るまで人目を気にして私と少し距離を取って歩いていただけに突然間近に来られて少し驚きはしたが、それは彼も同様だったようだ。
リーバルとは数年前に再会して以来、生活を共にしている。そのせいか、自宅と同じ感覚で無意識にとなりに座ってしまった、といったところだろう。

慌てて場所を変えようと腰を浮かせた彼に少しだけ寂しさを覚え咄嗟に腕を掴むと、リーバルは周りを気にかけながら戸惑ったような眼差しを向けてきた。
一緒にいて、と声には出さず口を動かすと、僅かに見開かれた目が細められ「仕方ないな」と小さく笑みを返してくれた。
軽く咳ばらいをしながら座り直してくれたことに安堵しつつ、荷物のなかからこさえたサンドイッチを取り出し、そっと差し出す。
どうも、と受け取ったサンドイッチを茶化すように軽く掲げたとき、彼の首にかけられた紐のネックレスが揺れ、何かがきらりと光った。
その先に光るものがリングだと気づいたとき、胸の奥が熱くなって思わず口元を隠した。私の左手の薬指にはめているものとおそろいのものだ。
彼の手には小さすぎるからと普段は寝室のテーブルにあるリングピローに飾ったままにしてあったはずだが、まさかこの日のためにわざわざつけてきてくれたなんて。

「それ……つけてきてくれたの?」

私の視線を辿り自身の胸元に視線を落としたリーバルは、途端に目を大きく見開き、慌てた様子で胸当てのなかにリングを押し込んだ。

「ただの気まぐれだ」

あからさまに動揺した様子を見せながらも口振りだけは絶対に崩さない彼に噴き出しそうになるが、笑いを押し殺してあごを逸らす。

「ふーん、気まぐれ、ね。ちょっとは私のこと考えてくれてるのかなって期待したんだけど……なーんて」

リーバルの口調を真似ながらおどけてそう言うと、自分の真似をされると思わなかったのかふふっと噴き出したあと、リーバルはやけに神妙な顔をして私の目を見つめた。
鉱石の仄かな明かりに灯されて煌めく瞳は柔らかく細められてはいるものの、どこか真剣みを帯びている。
こんな顔をするなんて滅多にないけど、こういうときは彼らしからぬ本心が聞けることがある。物珍しい様子に内心動揺しつつも、喉を鳴らして言葉を待った。

しかし、私の期待は外れた。しばし思案するようにくちばしを開閉させていたリーバルだが、踏ん切りがつかなかったのか、さっと視線を逸らすなりサンドイッチを頬張りはじめた。呆気にとられる私をよそに眉間にしわを寄せながら咀嚼すると、言いかけられた言葉を飲み下すようにサンドイッチを飲み込んだ。

「……ご馳走様」

呆然とする私のあたまにポンと手を置いたあと、リーバルは軽い身のこなしで早々と立ち上がった。
呼び止めようと伸ばした手は宙を掻く。リーバルは私に一瞥を寄越しながらも、湧き水を両手で掬って飲んでいるミファーとリンクのかたわらにしゃがみ込んだ。
水質に問題はないか、得体の知れない場所の水を飲むなんて不用心だ、なんていつもの調子で彼らにーー主にリンクにーー苦言を呈しはじめた彼を残念に思いながらも、余程照れ臭いことでも浮かべたんだろうな、なんてつい自惚れてしまう。

リーバルに夢中になっていた私は、いつの間にかゼルダの視線がこちらに向いていることに気づき、にやけていた口元をさっと隠す。
そんな私がおかしかったのかクスクスと笑っている。顔に火照りを感じながらも、私もそっと笑みを返した。

このときの私は、これが彼女との別れになるなんて夢にも思わなかった。
胸の奥底で抱いていた鬼胎が、まさか現実のものになるなんて。

「御ひい様、みんな!こっちに来ておくれ」

階段下からウルボザの呼び声がかかり、それぞれ荷物を手に立ち上がる。
足早に駆けつけると、ウルボザとダルケルが何やら奥の通路の半ばで壁に向かってかがみこんでいた。
ところどころひび割れたアーチをくぐり、彼女たちの待つ通路へ向かうと、壁一面に並ぶ石碑にぞわりと背筋が粟立った。
決して広くはない通路の両側で規則正しく背を並べる柱。そのあいだに等間隔で設えられたそれは、同様の形状のものもあれど規則性は感じられず、どこか既視感があった。

「何かあったのですか」

「御ひい様、見てごらんよ。この石碑、地上で見かけるものと似てやしないかい?」

「これは……ゾナウ文明……!やはりここにあるものは……」

「やれやれ」

新たな遺構の発見に興奮気味に語り始めるゼルダにまた始まったとばかりに呆れ返るリーバルだが、彼も彼でくちばしに指を添えつつ何だかんだで興味深げに辺りを眺めている。
そのかたわらで、私はウルボザがさり気なく口にした「石碑」というワードが引っかかっていた。喉奥でくすぶるものにモヤモヤしながら思考を巡らせ、ようやく既視感の正体を思い起こしたとき、ぞわりと鳥肌が立った。

この世界に召喚されるよりももっと前のこと。そう、前世の世界で見かけたことがある気がするのだ。
先の尖った石柱はまるで……神徒墓や庚申塔の造りを想起させる。

私たちは、もしかして踏み入れてはいけない領域に来てしまったんじゃないか。

「ねえ、これって……」

私のとなりで少し不安そうに胸を押さえながら呟いたミファーの声は少し震えていた。
恐らく彼女も私とおおむね同様の”もの”を浮かべているに違いない。
倒れた石碑のあった場所は掘り返されたように土が盛り上がっており、出土されたかもしれないものを想像してぞわぞわと身の毛がよだち始める。

そのとき、パシャ、という音とともに一瞬のまばゆい光が辺りを照らした。
すっかり好奇心に火がついてしまったらしいゼルダはこの場所を不気味に思うどころか、感激のあまり気を高ぶらせているようだ。
夢中になって手当たり次第にウツシエを撮っている彼女に、少しだけ気分が和らぐ。

けれど、先に抱いた懸念は消えるどころか、私の胸のなかで大きく渦を巻き始めていた。
その根源がどこから来るものなのか、おおよその見当はついている。

一足先にみんなが向かって行った通路の奥の広間に進もうにも、何だか足取りが重い。
思考に気を取られ、危うく広間に入るなり足を止めたリーバルにぶつかりそうになる。
慌てて足を止めてリーバルを覗き込んだ私は、彼が何かを注視していることに気づき視線の先を辿った。そして、同じくそれに釘付けになる。

視界の端から端に至るまで壁一面に描かれた壁画。
レリーフのように浮き彫りに掘られた無数の絵は、長らく閉ざされたこの空間に安置され空気に触れなかったことが幸いしてか、風化することなく恐らくは掘られた当時の状態をほとんどそのまま残しているように感じられる。
それは、蔓延るように描かれた曲線の紋様がその深い赤を色濃く残していることからも明白だ。

一枚一枚を見比べていううちに、同じような人物が何体も描かれていることに気づく。
何かを物語っているように見て取れるその絵から作画の意図まで読み取ることはできないが、赤い曲線の紋様をまとう人物や魔物の群れを想起させるモチーフはどこか邪悪で異質なものに感じられ、決して穏やかな情景ではないのは確かだ。

何とか気を紛らわせようと細く息を吐き出す私に何かを察したリーバルは、ははん、とおどけるように肩眉を上げ、くちばしに翼を添えながらひそひそと耳打ちしてくる。

「この場所が怖くてたまらないって顔してる」

自覚していることをわざわざ指摘され、気恥ずかしさが込み上げてくる。
そんな私を笑い飛ばしながらやっぱりね、と腕組みをする彼は、いつもと変わらない自信に満ちあふれた顔つきだ。

「ま、こんな暗くて湿っぽい場所に得体の知れないものがこんだけあったんじゃ、そういう顔にもなるか」

私をなだめるためか、それとも単に彼の性格が息を吐くようにそうさせるのか。
彼の意図は相変わらず読めない。本人が読ませないせいもあるけれど。

平静を崩さないリーバルに幾分か気持ちが落ち着くが、心強いはずの彼の存在でさえ、今の私にはほんのささやかな安らぎに過ぎない。

「さあ、先を急ぎましょう」

通路の脇道で誘導するゼルダに、はっと我に返る。ここが地下の最奥さいおうかに思われたが、まだ奥があるようだ。
暗闇に吸い込まれるように階段を下りてゆく彼女の周囲を、赤黒い靄のようなものが漂うのが見えた。
その靄が私の身を掠めた瞬間、ずくりと胸の奥が締め上げられたような息苦しさを感じ、胸を押さえる。

「大丈夫かい?」

薄緑の瞳が、気づかうように注がれる。私の心中を察してか、先ほどのようなからかう素振りは一切ない優しい声色でささめかれ、少しだけ安堵する。
頷き返すと、深呼吸をして気を持ち直す。そうだ、今は彼やみんなが側にいるんだから。

「何だか、嫌な予感がして……わっ」

突然強引に腕を掴まれたかと思うと、後ろ手に引かれて前のめりになる。
私が煮え切らないせいでイライラさせてしまったかと仰ぎ見るが、肩越しにこちらを振り見るリーバルは、何食わぬ顔だ。
何もかもお見通しだと言わんばかりの目に、怖気づいている自分が馬鹿みたいに思えてくる。

僕が守ってあげる。小さなささやき声は、辛うじて聞き取ることができた。
私も届くかどうかの小さな声でありがとう、と絞り出す。
それでも彼にはちゃんと届いていたらしく、腕を掴んでいた彼の手が私の手を包み込むようにしっかりと握り直される。

姫様たちはすでに奥の階段を降り始めていた。
悠々と先を進む彼に引かれるまま、覚悟を決めて後をついていく。
最奥の真ん中で渦潮のように螺旋を描く、今にも消え入りそうなほど淡いエメラルドの光の筋に、胸騒ぎが止まらない。

(2024.5.12)

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