天翔けるII

2. 神代の聖王

夕陽せきようゆるあかき空に、宵を告げる鐘の音が鳴り渡る。
その重厚かつ気高き音色に耳を澄ませば、在りし日々の面影おもかげ其処此処そこここよみがえり、郷愁を誘う。
ホタル火の如く浮かんでは消え入る光景に手を伸ばすも掴めるはずもなく、やるせぬ念が空虚な胸を蝕む。

……もはや取り戻すことは叶わぬのだ。

さざめく風の音が木々を揺らし、透き通った我が身を吹き抜けてゆく。まるで、私がそこに在りはしないかのように。

顎髭をひと撫でし、深く息をつく。今は憂いているときではない。
未だ目覚めぬ”あの青年”の容態を確認しなくては。

その前に今一度、天高く浮かぶ島の最北にそびえる神殿を双眼に焼き付けようと、仰ぎ見るべく背後を振り返ったときのこと。

神殿へと続く階段を彩るように広がる庭池。
その縁取りの岩場に佇む二つの人影を見つけ、久しく驚いた。
人が訪れることなど到底不可能なこの場所に、ゴーレム以外にいようはずがない。

……亡者か?いや、違う。彼らの姿は私と違い透き通ってはいない。
それに、どこか見覚えのある姿であるのは確かだ。
思考を巡らせ、おぼろげながら“あの城”の地下が崩れ去る際に居合わせた者のなかに彼らの姿があったことが思い出される。
であれば、間違いない。あの者たちはあの姫……ゼルダ殿の話にあった英傑の仲間であろう。

無我夢中で掴んだ“あの青年”の手に集中するあまり、ほかの者への救済は行き届かなかったものと失望していた。
しかし、奇跡的にも己の力が及んでいたようだ。

ハイリア人と思しき娘と、リトの青年。
種族は違えども、仲睦まじく寄り添い笑みを交わす様に、どのような縁であるかは聞かずとも知れる。
敬愛すべき我が妃……ソニアを忍ばずにはいられない。

足音一つ立っていないはずだが、少しばかり側に近づいただけでリトの青年はすぐさま私の気配を察知した。

おなごを背に庇いつつ即座に狙いを定める様から、弓の腕はとうに練達の域に達しているのは瞭然のことだった。
私を射らんとするその矢尻の如き鋭利なまなこは、彼の者の怜悧さと揺るがぬ矜持からなる熱き気性をよく表している。
“気高い”と言えば美徳のようであるが、言い換えればそれは“高慢”とも言えるだろう。
しかしながら、そう評した矢先に我が妻の咎める視線が脳裏に過ぎる。
まるで他人事ひとごとのように浮かべてしまったが、いささか身に覚えがないとも言い切れない。

「……気がつかれたか」

いつぞや妻から指摘を受けた際のことを想起させつつ、努めて柔和に声をかける。

「失礼、驚かせてしまったようだ。……私はラウル。わけあってこのような姿をしているが、案ずることはない。決してそなたらに危害を加える存在ではない、とだけ伝えさせてもらおう」

「御託は結構だ。無害だと証明できない限りあんたが怪しい奴であることには変わりないからね」

どうやらこのリトの者。達者なのはその身のこなしだけではないと見える。
失敬な物言いにこめかみが引きつりそうになるが、的確に的を射た利口な指摘であることは確かだと己に言い聞かせ、咳払いをして気を静める。
私の機微を悟ってか、リトの青年の背から顔を覗かせながら「ちょっと、リーバル!」とおなごが小声で彼を諌めた。
途端にばつが悪そうに顔をしかめる青年に、かつての自分の姿が重なる。
彼女の言葉を飲んでか渋りながらも弓を下げたあたり、ひとまず警戒を解くことには成功したとうかがえ密かに安堵した。

だが、相変わらず私を見据えるその眼差しは鋭く、弓を背負い直すなり腕を組みながら指で二の腕を小刻みに叩いている。
気を緩めるつもりはさらさらないようだ。

「それで?その容姿……口が利ける以上さすがにモンスターじゃないと思いたいけど。見たところ生者ってわけでもなさそうだね」

「いや、だからちょっと……!」

腕を組みながら上から下へなぞるように私を観察する青年の失言に、おなごがまたもや制止すべく彼の腕を引く。
未来のこの地にゾナウの者が存在しないことは薄々わかっていたが、あろうことかモンスターと見紛われていたとは。
不敬な言動を繰り返すこの若きリトにふつふつと苛立ちが沸き起こるが、不必要な言葉を除外すれば彼の要点は少しの間のあとで付け加えられた「どうしてこんな辺鄙へんぴな場所に留まってるんだい?」に尽きるようだ。

当然投げかけられるものと構えていた問い。
この若者に下手なごまかしは通用しないだろう。曖昧な回答ではぐらかしたところで納得するまで追及されるのが目に見えてわかる。
だが、事実をありのまま伝えたとて疑いを持たれるのも当然。どう答えるべきか悩みつつ、極力慎重に言葉を探す。

そのとき、私とリトの青年の会話を見守っていたおなごが、ためらいながらも声をかけてきた。

「申し遅れました。私はアイと申します。こちらはリーバルです。その……僭越ながら、高貴な身分の方とお見受けしますが、ひょっとして……」

何かを察したような眼差し。アイと名乗ったこの娘の問いかけに背を押され、覚悟を決める。

「私はかつてこのハイラルの地を建国した王。この容姿を見慣れておらぬということは、やはりゾナウの血は堪えてしまったか」

“ゾナウ”に何か覚えがあるのか、リーバルと呼ばれた青年の眉が微かに上げられる。

「ゾナウ?……確かどこかの姫がそんな名前がついた古代文明を熱心に研究してたな」

「初代ハイラル国王……!」

存外に受け入れられたことに胸をなで下ろしつつ、本題を切り出す。

「して、なぜ私がこの地に留まっているのか……そう問うておられたな。私には、まだ成すべきことが残っているのだ。そなたらの友……ゼルダ殿に頼まれ、退魔の剣に選ばれし騎士……リンク殿に後を託さねばならぬ」

なぜ私があの者たちのことを知っているのか。そう言わんばかりに二人の目が見開かれ、互いに顔を見合わせている。

「ゼルダ様とリンクをご存じなのですか?二人は今どこに……」

顔色を変えて矢継ぎ早に問いかけてくる彼女に、リーバルは口にしかけた言葉を飲み込んだ。
九死に値するあの状況から生還したとあれば、困惑するのも無理はない。

「リンク殿は今、危篤の状態にあり治療を施している最中だ。この浮き島の南の果ての洞窟で休ませている」

「姫は一緒じゃないのかい?」

眉をひそめる青年にかぶりを振って示すと、彼は額を押さえながらやれやれ……とため息をこぼした。

「案ずることはない。行方こそ知れぬが……彼女もまた生きているのは確実だ」

薄暮の空に咆哮が響く。
宵の風に舞い上がる金色こんじきの葉の行き先を辿ると、そこには高き天に昇り行く純白の龍の姿を見つけた。
わかっている。この身が絶えぬうちに、事実を余すことなく伝えるべきであると。だが……彼らに告げるには、あまりに厳酷だ。

「ありがとうございます、ラウル様。今は、二人が生きてるとわかっただけで十分です」

凛とした声に視線を落とすと、アイはその瞳に不安な色を浮かべながらも微笑みを浮かべた。
何とも健気なその姿がどことなくゼルダ殿と似通っているように思え、もう肉体は失われているというのに胸の奥が温まるのを感じる。

「ほのぼのとしてるところに水を差すようで悪いけど」

彼女をその豊かな翼に隠すようにして進み出たリーバルは、不機嫌そうに眉を寄せつつ私を見上げた。
疑るような色を孕んだその眼差しにこの者の青い心情が透けて見え、つい笑みが浮かびそうになる。

「あんたの言葉をそのまま鵜呑みにするにはまだ早いな。この目で確かめてみないと」

「ふむ。であれば、私のあとについてくるがよい。これからリンクの容態を確認しに向かうところだったのだ」

私の提案にリトの青年は目を座らせ、白けたように両腕を掲げた。
この者の気質には私も多少なりとも似通うものを感じずにはいられないが、どうやら彼のほうは少々拗らせてしまっているように見受けられる。
ゼルダ殿より”魔王”の怨念を封ずるいくさにおいて英傑を束ねていたと聞き及んでいたが、この者の扱いには大層手を焼いたことであろう。

(2024.5.31)

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