天翔けるII

1. 天空にそよぐ黄金色

身体の内側から全身にかけて何かに蝕まれているような、形容しがたい不快感が侵食してゆく。
嘔吐感とも痛みとも覚束ないが、とにかく不快で酷い気だるさだ。

けれど、どうしてだろう。身体の調子はすこぶる悪いはずなのに、肌に感じる温もりや頬を滑る風が妙に心地よく感じられるのは。
仄かな明るさを感じ意識が浮上してくると、今度はまぶたの裏が徐々にじんわりと熱くなり、目を閉ざしていてもまばゆいほどの光を感じはじめる。
さわさわと揺れる草のような爽やかな音に揺り起こされ、眩しさを堪えてそっとまぶたを押し上げてみた。

不快感に堪えながらゆっくりと上体を起こす。
頭が猛烈に痛むが、動けないほどではなさそうだ。

頭痛をなじませるようにこめかみをほぐしていた私の、ぼやけていた視界が鮮明になったとき。
目の前に広がる黄金色こがねいろの大地に目を奪われた。
思わず痛みを忘れてしまいそうなほどの絶景に息を飲む。

辺りを見渡すと、ここはどうやら森の中らしかった。どうやら草木に囲まれた場所で気を失っていたらしい。

私は、死んでしまったのだろうか。

心象風景のなかのような、どこか郷愁を感じさせる景色についそんなことを浮かべてしまう。
そう思わず浮かべてしまうほどに美しく、まるでこの世ではない場所のように思えた。

自分がどうしてここにいるのか、どうやって元の場所に帰ればいいのか、何もわからない。

気を奮い立たせ足に力を込めて立ち上がろうとするが、思うように力が入らず膝から崩れ落ちかける。
しかし、頭上でばさりと大きな音がしたかと思うと、脇から素早く差し込まれた大きな手に支えられ、地面との衝突は免れた。

どうにか体勢を保った私は、見上げた顔に驚いた。どこからともなく現れたリーバルが、焦燥感をあらわにした顔で私を覗き込んでいたのだ。
長距離を飛んでも乱れることのない息が珍しく乱れているところからして、無理をして急いで駆け付けてくれたんだろう。
まだ頭がはっきりしないが、彼の存在を間近に感じた途端、お互いの無事をようやく実感した。

アイ……!」

掠れた声で息を切らしながら名を呼ばれ、胸がぎゅっと締め付けられる。
こんなに不安そうな顔をするなんて珍しい。
外傷がないか確かめるように身体のあちこちを観察され、周りに誰もいないのに少しの恥ずかしさを覚える。

「リーバルも無事でほんとに良かっ……」

頬を掻きながら伝えようとした言葉は、途中で両翼に包み込まれたせいで最後まで紡がせてもらえなかった。
リーバルは何を言うでもなく、ただただ私をきつく抱きしめてくる。嗅ぎ慣れた彼の香りに、じわじわと安堵感が込み上げてくる。

少し離れた場所で気が付いたらしいリーバルは、私やみんなを探しながらこの一帯を調べていたらしい。
ハイラルでは見たことのない植物ばかりで見慣れない場所だとは薄々感じていたけれど、浮き島だと言われたときは驚かざるを得なかった。
さすがのリーバルも山よりも高い場所を飛んだことはほとんどないらしく、メドーよりもさらに高い場所に位置するこの場所へは初めて訪れたそうだ。

けれど、いくらこの高さでもこれだけの広大な大地が上空に浮いていれば地上からでも目に付く。
上空を飛んでいればなおさら気づいただろうが、リーバルもこれまで一度も目にしたことがないという。
まさかとは思うが、これだけの規模の台地が突然姿を現したとでもいうのだろうか。

事前に見つけておいた休息場所まで私を誘導しながら情報を共有してくれたリーバルは、たき火の前に私を座らせると端に寄せられた木の枝を火に割り入れた。
古びた鉄の鍋がかけられたままのたき火。いつからここにあるのだろう。こんな高所に人がいたとは考えられないが、確かな痕跡に疑問が浮かんでくる。
パチパチと火の粉が弾け、ぬらりと漂う温もりが高所の冷気を仄かに溶かす。
ここで休めば少しは身体の苦しみも和らぐかもしれない。

「君のその反応からして少し記憶が飛んでるようだけど……まさか城の地下で起きたこと、忘れてるなんて言わないよね?」

「え……?」

あまりに真剣な声でそう言われ、呆気に取られてリーバルを見つめる。

彼の瞳は、いつも通り彼特有の怜悧な印象のうかがえる真っすぐな眼差しだ。
けれど、そのなかに彼のわずかな恐怖心が垣間見えた瞬間、私は一気に思い出した。

城の地下。
壁画。
囚われていたミイラ。

足場が揺れ、崩れゆく瓦礫がれきに埋もれるみんなの身体。

深淵しんえんに落ちゆくゼルダと、その手を掴み損ねたリンクの宙を掻く手。
その手が瘴気に侵食されゆく最中さなか、辺り一帯の闇を討ち払うようにまばゆい光が広がり……気づけばここにいた。

「みんな……ゼルダ様……」

どうしてこんな大事なことを忘れていたのだろう。
あのアクシデントの影響で記憶が飛んでいたのだろうか。

「リーバル、どうしよう」

「落ち着きなよ」

「だって……!」

リーバルの人差し指が、私の唇に押し当てられる。
彼の目は冷静だった。

「あのとき谷底に落ちたはずの僕らが、奇しくもこうして無事でいるんだ。正直根拠もないことなんて認めたくはないけど、こういう状況の今、さすがに人智の及ばない何かが起こったとしか考えられないよ。厄災との戦いのとき、100年後の時代からテバたちが現れたようにね」

根拠はない、なんて言いながらも、腕組みをしながら思案を巡らせるようにくちばしの先を弄んでいる。

「ほんの一瞬のことだったから僕も記憶が曖昧だけど、辺りが光に包まれたとき、身体が勝手に浮かび上がるような感覚があったんだ。あれが一体何なのかは見当もつかないけど、気づけばここにいたってことを考えるとその光の仕業だって考えるのが自然な気がする」

リーバル自身は推測の域を出ないと考えてか言葉を選んでいるようにも思えるが、どこか確信めいた証言に少しの希望が湧いてくる。
そうだ、私たちがこうして二人そろって無事でいるんだ。
みんなもきっとどこかで……。

「リーバル、みんなを探し……っ」

ずくり、と胸の奥が締め付けられたように苦しくなり、耐え切れず横たわった。
地下で瘴気に触れたときのような感覚がまざまざとよみがえり、ただでさえ消耗している身体にさらなる負荷がかかる。

「おい、しっかりしろ!」

全身を襲う不快感に堪えるように身体を抱きしめる私のただならぬ様子に目を見張ったリーバルは、はっと荷物のなかで光るものに視線を落とした。
バッグの中から取り出したそれは黄金色の花だった。私と合流するまでのあいだに摘んできたようだ。

「この花に特殊な効果があるかははっきりしないけど、この花の側で目覚めたとき、地下で受けた瘴気のダメージが少しだけ軽減されているように感じたんだよね。ま、効能を実証するためだと思って預かっててくれ」

そう言ってリーバルはその花を私の手に握らせた。
花から発せられる陽光のような温かな光に、全身に満ちた不快感が解けるように取り払われていくのを感じる。

リーバルはバッグのなかからさらに布を取り出すと、折りたたまれたそれを少しだけ広げて火にかけられた鍋を掴み、すくっと立ち上がる。

「まずは君のその症状を緩和させられるような薬を作らないと。ひとまず僕は鍋を洗ってくるから、君はそこで休んでなよ」

一人で置いて行かれる不安もあるが、リーバルの身が心配だ。
こんな何が起こるかわからない未知の場所で一人行動だなんて、危険すぎる。

「僕がいなくて不安かい?それとも、もしかしてまさかこの僕のことを心配してるのかな?」

思っていたことを言い当てられ、どきりとする。
「ふーん、やっぱりね」と口角を上げたリーバルの見透かすような目に「心配して当然でしょ」と返すと、リーバルはふふ、と小さく笑みをこぼした。

「ま、安心しなよ。なんせ、水場はすぐそこの高台だからね。そんないかにも不安ですって目で見つめないでも、すぐに戻るさ」

僕が戻るまで安静にしてなよ、と言い残すと、私の返事を待たずして颯爽と飛び立ってしまった。
どんな状況でもリーバルはリーバルだ。そんな彼の人となりに感心しつつ、大人しく帰りを待つことにしてバッグを枕に目を閉じる。

腕のなかで煌めく黄金色の花。この花を抱いていると安らぎを感じる。
こんな状況に置いても直感が働くリーバルは本当にすごい。私もいちいち戸惑っていないで、彼のように冷静に物事を考えないと。

待っているあいだ、この先どうすべきか考えていようと思いつつふと目を開けた矢先。
足音もなく突然現れたそれに、危うく声を上げそうになった。すんでのところで声を殺し、自分の口を塞ぐ。
鱗を張り合わせたような緑色のごつごつとしたボディ。そこから生えるエメラルドの細い光には輪のような装飾が幾重にも連なり、まるで腕を模しているようだ。
まるで人を象ったようなそのロボットのような”何か”は、時折辺りを警戒しするように頭部を振りながらゆっくりと巡回している。
右手に構えられた木の枝に目を留め、ごくりと唾を飲み込む。

“あれ”に見つかったら、攻撃される。
直感がそう警笛を鳴らしている。

幸い、まだ見つかっていない。逃げるなら今のうちだ。
“あれ”が背中を向けているうちにそっと身体を起こし、背後の石壁に身を隠そうと後ずさりをしたときだった。
かさり。草を踏んだ音が微かに立った。
ほんの小さな物音のはずだが、それでも確実に察知されてしまった。

“あれ”の頭部がぐりんと回転し、赤い縁取りの一つ目が不穏な光を発しながら私を認識した。
途端に警報のような甲高い音をけたたましく鳴らし始め、いよいよ心拍が上がってゆく。

ふわりふわりと、しかし的確な動きで私目掛けてまっすぐ直進してくるそれに、どっと汗が噴き出る。
さっと身をかがめるが、もう手遅れであろうことは敵の近づく気配からもわかる。

しまった。バッグを火の側に置いたままだ。
取りに行きたいが、今飛び出したら恐らくバッグを掴むかどうかのタイミングで追いつかれてしまう。

「そうだ!一か八か、トラヴェルソで……」

敵から視線を外さず、腰に携えた笛を手探りで探す。
しかし、いつもそこにあるはずのそれが手に当たらない。

「どうして……!?」

腰に目を落とし、やはりそこにないことを確認し絶望する。
その一瞬の隙を突かれてしまった。
頭上に影が差し掛かったと思ったときには、すでに真っ赤な一つ目が確実に私を捉えていた。
降り上げられた木の枝に避けられないことを悟り、衝撃に備えて両腕を交差させて守りの態勢に入る。

しかし、木の枝が振り下ろされる瞬間。飛んできた何かが一つ目を射貫いた。
射貫かれた敵は煙を上げながら痙攣するようにガクガクと震え、やがて一つ目から光が失われたとき、崩れ落ちるようにしてばらけ散ってしまった。
的確な射撃。敵の残骸とともに転がる砕けた矢じりに仕留めた人物が易々と浮かび、ほっと息をつく。

「危機一髪、ってとこかな」

高台の縁に立ち自慢のオオワシの弓を抱えるリーバルは、ふん、と顎を高く上げながら不敵な笑みを浮かべた。
手にしたままだった黄金色の花は、無意識に強く握りしめてしまっていたせいか、茎がしおれてくにゃりと曲がってしまっていた。

(2024.5.19)

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