東ハテール周辺の調査最終日。
午前のうちにウオトリー村近辺の祠の調査を終えたあと、午後からは各自休養を取ることになった。
姫様は食事を終えるなり「記憶が新鮮なうちに」と祠の調査結果を精査すべくシーカー族の研究員たちが待機しているテントへウルボザを伴って意気揚々と向かった。
リンクとミファーはダルケルの計らいで海岸へ、当のダルケルはキャンプの設営に勤しむ兵士たちの加勢へと向かっていった。
リーバルは羽根を伸ばすついでに周辺の索敵でもしてくると言い残し、食事もそこそこに飛び立ってしまった。
それぞれ各所へ散るなか、私はというと海辺の景色を堪能しつつウオトリー村の海鮮に舌鼓を打ったあと、早々に暇を持て余してしてしまった。
何せ、ここには娯楽が少ないのだ。
誰かと合流しようかとも考えたが、しばらく大勢で行動していたせいか何となく気乗りしない。
強いて言えば宿のソルトスパは利用してみたかったが、岩塩の持ち込みが必須とのこと。あいにく手持ちの個数が足りず断念せざるを得なかった。
そんなこんなで特にすることもなく清涼感を求めて高台をぶらぶらとほっつき歩いているうちに、気づけば村外れのダスキーダ高原に差し掛かっていた。
まだ日が高いせいで道中じっとりとかいていた汗も、ここまで登ってくればひんやりとした空気が程よく乾かしてくれる。
木々を抜ける風に仄かに混ざる、潮風とは違う水の香り。
草木の香りと相まって涼やかなその香りにつられふらりと向かうと、巨木が無造作に生えた木陰の池を見つけた。
姫様がシーカーストーンでこの周辺のマップを確認していたときに、ちらりと覗かせもらった画面の記憶を辿る。
確かここは……そう、コガネ?コガネヤ?確かそんな感じの名前の池だ。
この辺りにはモンスターや動物の姿があまり見当たらない。日が傾くまでゆっくり涼んでいくのもいいかも。
思いのほか良い場所を見つけたことに気を取られ、つい警戒を怠ってしまっていたのが良くなかった。
池の周辺をのんびりと散策していた私は、いつからそこにいたのか突然現れたモリブリンに酷く驚き、咄嗟に弓を構えた。
狙いをつける間もなく放った矢は当然当たるはずもなく。
水かさは決して浅くはないにもかかわらず、巨体のモリブリンには水たまり同然と言わんばかりに草地と変わらぬ速さで迫ってくる。
バシャバシャと派手に飛び散る水の音が恐怖心を煽り、次の矢をつがえる手が震える。
「ふん……ノーコン」
頭上から小馬鹿にするような嘲笑が聴こえたと思ったときには、モリブリンは豪快に水を弾けさせ倒れ伏していた。
その額の中央に穿たれた矢。この類を見ない機械的なまでに的確なテクニックを目の当たりにすれば、ひと目で誰の仕業かわかる。
モリブリンの身体が黒煙とともに消え去ったタイミングで、矢を放った張本人ーーリーバルーーが翼を羽ばたかせながらゆっくりと降下してきた。
着地の衝撃を和らげるように両翼を広げたまま片膝をついたリーバルは、しなやかな動作で立ち上がると手にした弓を背負い直した。
「リ……リーバル!どうしてここに……」
両腕の羽毛を整えるように払っていた彼は、私に一瞥を寄越すと溜め息混じりに「別に」と流した。
大方この辺りの索敵をしていたところに、たまたま私とモリブリンの戦闘を見つけたといったところだろう。
相も変わらず素っ気ない返答にそれ以上言葉が続かない。
はっきり言って、私はこの男が苦手だ。
戦闘の相性からたびたびペアになるため関わる機会こそ多いものの、口を開けば大体皮肉かからかい文句ばかり投げつけられるからだ。
ほかのメンバーとは至って朗らかに会話ができるのに、一番行動を共にしているはずのリーバルとだけは未だにまともな会話をしたことがない。
そのせいで、どう接するの正解かわからなくなってしまっている。
コミュニケーションの主体性を彼に任せきってしまっているのも余計にギクシャクしてしまっている原因だとわかってはいるけども、今さら愛想良く気さくに話しかけるなんて勇気もない。
そんな私の心情を知りもしないで、何かを探るように池のなかをきょろきょろと見回していたリーバルは、渋々といった様子で池に踏み入った。
すね当てが濡れるのが気に食わないらしく、苛立たしげに舌打ちしている。
せっかく良い場所を見つけたと思ったが、やはり大人しく村に帰ろうか。
その前に一言礼だけでも言っておこう。
腰を屈めながら無造作に水草をかき分けているリーバルの背に声をかけようとしたときだった。
池のなかから滴る何かを取り上げたリーバルが至極不機嫌そうな顔でこちらを振り向いた。
その手には、先ほど私が外した矢が握られていた。
わざわざ拾ってくれたようだ。
「あ、ありが……」
「まだ使えるのに拾わないなんて、もったいないんじゃないの?それに、この辺りには動物は少ないとはいえシツゲンスイギュウくらいはいるんだ。誤って踏んで怪我をさせても君には責任なんて取れっこないだろ」
「……ごめんなさい」
罪悪感を掻き立てられ、謝罪の念がこぼれていた。
何より助けてもらったお礼が言いたかったのに。
歪められたままのリーバルの眉が少しだけぴくりと動く。
「まあ、今後は気をつけなよ」といつもならさらっと済むところだが、今日の彼は虫の居所が悪いらしく。
苛立たしげな溜め息がくちばしから漏れ出たことに、私の気持ちはますます張り詰めてゆく。
「前々から脇が甘いとは思ってたけど、配慮も足りないよね、君」
強襲に驚いて呆然としてしまったばかりに、あとのことまで考える余裕を持てなかったのは、確かに私が至らないのだと思う。
だけど、彼の物言いにはさすがにカチンときた。
言葉とは裏腹に無言で矢を差し出す手つきは緩慢で、いつもの私だったらそういう不器用な彼らしさに気を留めて「まあ、リーバルはこういう人だ」と思い過ごしていただろう。
けれど、今日はどうしてか、黙って受け取る気になれなかった。
無性に悲しくて、腹が立って仕方がない。
「……どうして……に」
「何だって?よく聞こえない」
「どうしてあなたにそこまで言われなきゃいけないんですか」
声を張った勢いのまま、差し出された矢を強く払った。
弾いた矢はサクリと草地に刺さったあとぱたりと倒れ、木々のあいだを縫うように流れる風に身を任せるように転がってゆく。
裏手で弾いた際に矢尻が掠めたらしく、手の甲に軽い痛みが走る。
払われた手を呆然と見つめていたリーバルは、驚きとも困惑とも取れる表情を浮かべ私を見つめた。
珍しく動揺に見開かれたその目が揺れているのに気づき、さっと血の気が引いてゆく。
「あ……私、その……っ」
再び謝罪を捻り出そうとするが、それよりも早くリーバルの手が私の手を掴んだことによって喉の奥に引っ込んでしまった。
私の手首を掴む太い指先は加減というものを知らず、擦り傷の痛みよりもむしろ掴まれた手のほうが痛い。
たまらず顔をしかめると、それに気づいてか少しだけ握る力を緩めてくれた。
「……やれやれ」
声色を落とし呟かれた言葉に、今度こそ失望させたと思った。
けれど、恐るおそる見上げたリーバルの顔は存外にもどこか吹っ切れたような顔つきで、微かに笑みを浮かべていた。
彼のこんな顔を見たのは初めてで、不覚にも目を奪われてしまう。
何だかこそばゆい感じがして腕を引こうとするが「このまま」と一言釘を刺されてしまったせいで逃れるわけにはいかなくなった。
腰に携えた袋から布を取り出すと、端をくちばしに挟みながら広げ、私の手に巻き付けてゆく。
「脇が甘い、配慮もない、オマケに鈍くさいときた」
巻きつけられるたびにリーバルの羽毛が少しだけ手に触れてこそばゆい。
「そのうえ、せっかくこの僕がわざわざアドバイスしてやってるってのに、聞き耳を持とうともしない」
ぎゅ、と強い力で固く縛られる。やっぱりちょっと痛い。
「ほんと……可愛いくないね、君」
私の手を握る大きな指先に、力が込められる。
矢尻の先のように細い瞳孔が真っ直ぐに私を射捉え、目が逸らせない。
「リーバル……手、放して……」
胸当てを押し返そうとするが、その手を押さえつけるようにリーバルの手のひらが重ねられ、いよいよ身動きが取れなくなる。
拒みたいはずなのに、なぜか私の心臓はうるさいほどに鳴り響いてどうにも落ち着かない。
「嫌だ、って言ったらどうする?」
「え……?」
私に落とされたままの彼の目が潜められ、くちばしの端が微かに歪む。
「もっと素直になれば」
その言葉が一番似合わない人から指摘を受けるとは思ってもみなかった。
けれど、彼のその言葉に、私は初めて胸の奥に閉じ込められた感情を自覚し始めたのは確かだった。
いつだって嫌味ばかりで、辛辣で、人の気持ちなんて一つも汲んでくれない。
したたかで、嫌な人。
それなのに、いつもどこかで彼が気になっている。
そうだ。物言いこそきついけど、リーバルの言葉はいつも的確なんだ。
腹が立って仕方がないのに、悔しいはずなのに、いつもどこか腑に落ちてしまうのは、彼が何より私のことを考えて彼なりに伝えようとしてくれているのをどこかで感じていたからだ。
どうして今まで気づけなかったんだろう。
私、リーバルのことが……。
「好き……」
無意識のうちに浮かんだ想いが、自然と口からこぼれた。
咄嗟に弁明しようと口を開くが、思うように言葉にならない。
「い、今のは……その」
驚きに見開かれたリーバルの目が細められ、赤い縁取りの奥の翡翠が翳りを帯びる。
「よく聞こえないな。もう一度、はっきり言ってもらえる?」
こんなときでも意地悪が浮かぶなんて、本当に人が悪い。
さっきはつい口をついて出てしまったとはいえ、言えと言われて意識的に言葉にできるほど私は気丈じゃない。
「ほら……アイ」
普段「君」とか「ねえ」とか雑な呼び方をするくせに、こんなタイミングで名前を呼ぶなんてずるい。
それに、私の想いだけ引き出そうなんて割に合わない。
「その前に、あなたの口からも聞かせてください。私のこと……どう思ってるのか」
「は……はあっ?」
リーバルの顔が引きつり、私の手を掴む力が緩む。
彼くらい頭がキレるならそう切り返されることくらい容易に浮かんだだろうに、こんな歯切れの悪い反応をされたらこっちもさすがに驚く。
こんな動揺した様子を見せてくれるならと少しだけ期待が膨らんだが、彼の何気ない言葉は私の淡い想いをすげなく切り捨てた。
「さあね。……何を期待してるんだか」
ここまで思わせぶりなことをしておいて、こんな突き放しかたをされるなんて思わなかった。
ずくんと胸の奥が疼いて、張り裂けそうな想いでいっぱいになる。
彼の手を振りほどくと、いつの間にか目に溜まっていた涙がぽろぽろと零れた。
リーバルが小さく何かつぶやこうとしたのに気づいたけれど、喉からあふれる言葉が止まらない。
「私のことを仲間以上に思う気持ちがないのなら……仕方ないです。あなたの言うように、私はいつも脇が甘いし、配慮もないし、鈍くさいし、アドバイスもうまく飲み込めない。こんなに不器用で取り柄もないのに、好きになってもらおうなんて、おこがましいってわかってます。だけど、せめて……」
彼が縛ってくれた布に手を重ね、握りしめる。
「……嫌われたくない、です」
ぶっきらぼうな口調でもいい。
指摘でも、喧嘩でも、会話がなくたっていい。
そばにいたい。
あなたがとなりにいてさえくれるなら、それで……。
「……言いたいことはそれだけ?」
呆れたような声。はらはらと流れ続けていた涙が止まる。
深い溜め息にまた何か怒られてしまうのかと唇を噛み締めて言葉を待つが、彼のくちばしからこぼれたのは、想像してもみなかった本音だった。
「やっと素直になったかと思えば、またそうやって距離を取ろうとする。……こっちの気も知らないで」
私の聞き間違えだろうか。
せめて表情から判断できないかと彼を見上げるが、リーバルはいつもの仏頂面だ。
リト族の顔は羽毛に覆われているせいで、彼が今どういう感情なのか判断しづらく、せいぜい表情に反して怒っているわけではなさそうだということくらいしか見分けられない。
しかし、取り澄ますように後ろ手を組みながら重ねた手をトントンと人差し指で弄ぶ仕草に、ふと心当たりが浮かぶ。
仲間内から冷やかされたり、言動を咎められたりしたとき、彼はいつも平静を保とうとしてこうするのだ。
たったこれだけのことなのに、萎みかけていた気持ちが、期待が、また膨らみ始める。
「質問。どうしていつも僕と任務が重なってると思う?」
唐突な質問に意図がわからず小首を傾げると、さっさと答えろと言わんばかりに睨み下ろされる。
的外れな回答なんてすればまた馬鹿にされるのが目に見えている。ここは慎重に答えないと。
「それは……ええと、私とリーバルの戦闘の相性が良いからだと、リンクから聞いて……」
「それだけでこんな頻繁に組まされるわけないよね。少しは忖度が働いてるって思わなかったのかい?」
食い気味に切り捨てられ、言葉に詰まる。
忖度って、誰の……?
遠回しな物言いに思考がついてゆかず頭ではそう浮かべはしたが、なぜか胸は早鐘を打ち始める。
「大体さ、ドジな君がいつも無事に生還してるのは誰のおかげだと思ってるわけ?」
私の返答も待たず、謎掛けのように問いを繰り返すリーバルに、胸の高鳴りが増してゆく。
「まさかとは思うけど、さっきこの僕が君の窮地に現れたのも、まさか偶然だなんて思っちゃいないだろうね?」
「……えっ?」
ぽかんと彼を見つめ返すことしかできない私に、リーバルはいよいよ盛大な溜め息をこぼした。
「……呆れて物も言えないね」
うんざりしたような表情を浮かべて翼で額を覆った彼に、私はますます困惑した。
だって、彼の言った言葉の通りに受け止めてしまえば、全部私の期待通り……いや、願ってもなかったことばかりだ。
だとしたら、彼は一体いつから私を……。
「また私を……からかってるんですよね……?」
確かめたい気持ちとは裏腹に、口からは半信半疑な言葉が出る。
「はあ?」
「だ、だって……!リーバルが私を……そんなの、信じられなくて」
「ああ、もう!しつこいな君も。もう少し物わかりの良い子かと思ってたけど、ここまで鈍いとは驚きだよ」
リーバルはずっと苛立った様子だというのに、さっきまで彼の言動に萎縮してばかりいた私の心臓は今やこれでもかというくらい早鐘を打っている。
彼の胸のうちにある熱く燃えたぎるような感情に気づいてしまった以上、どんなに罵るような言葉を投げかけられようと、それは本音の裏返しとして都合良く変換されてしまう。
「え……っ?」
唐突に、リーバルが間近に迫ってきたかと思うと、後頭部を強引に引かれ彼の胸当てにゴツンと額がぶつかった。
鈍い痛みがじわじわと頭に広がるが、次いで背中に手が添えられ彼の温もりに包まれた体がびっくりしすぎて、痛みに構っている余裕がない。
「……頼むから、これ以上僕を掻き乱すな」
私の肩口に埋められたくちばしからこぼれた切なげな声色に、胸が締め付けられたように苦しくなる。
そっと彼の背中に腕を回すと、それに応えるように彼の翼に力が込められ、わずかな隙間さえ埋まる。
それは唐突に耳に吹き込まれた。
たった一言の短い言葉だけど、それは紛れもなく彼の本心を言い表していた。
あまりの衝撃で混乱してかけられた言葉をうまく飲み込めず、反芻しようにも頭のなかでぐるぐると渦巻いてまとまらない。
「……アイ」
衝撃が収まらないまま、ふたたび名を呼ばれたことで打撃を受けたように思考が固まる。
無意識に上げた視線は彼の瞳に絡め取られ、すでに回りきらなくなってしまっている思考は、降りてきたくちばしに唇を奪い去られてしまったことでいよいよ何も考えられなくなってしまった。
互いの鼓動と吐息が混ざり合うとき、初めて彼と通じ合えたような気がした。
終わり
(2024.6.2)
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