偏屈者と恋煩い

気づけば綴りを考えてる

微甘。夢主視点。トリップ夢主(ハイラル文字文盲)。
厄災との戦中、陣営の補助として雇われた夢主。指示書の文字が読めず困っているところに、陣営の指揮官に声をかけられる。
以来、彼に密かな想いを寄せる夢主は、彼への想いをしたためるべく読み書きの訓練をすることに。


 
私がハイラルに来てしばらくが経った。
初めこそ知り合いはおろか住む家すらないこの地での生活が不安で仕方なかったが、幸いにも人の親切に幾たびも助けられながらどうにか今日までを生き抜いてきた。
ハイリアの女神様の計らいか、奇跡か。理由は定かではないものの、何にせよ言葉だけは通じて本当に良かったと思う。

おかげでこの世界での常識や慣習にも慣れ、暮らしには困らない程度の収入も持てるようになったが、一つだけ、いまだにネックなことがある。それは、文字の読み書きだ。
文字の種類やよく使いそうな単語の綴りなどは頭に叩き込んだが、人と文字のやり取りをできるようになるにはまだまだ時間が必要だ。
とはいえ、厄災ガノンとの戦いの折、陣営の補助に参加した”あのとき”に比べれば幾分かマシにはなっていると思う。

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厄災ガノン復活が近づくにつれ、数を増やしつつある魔物の群れを討伐すべく、各地に陣営が張られた。
当時、私はその陣営の運営補助として採用された。
補助といっても兵士たちの寝泊まりする陣営の設営や身の周りの世話が主だったが、一日の段取りが細かく決まっていたため、私のような末端の者にも指示書が配られた。
てっきり口頭での説明のみだと踏んでいた私は、さっさと自分の仕事に取りかかる同僚たちに聞く間もなく、初日は特に困った。

指揮官に事情を説明して尋ねようかと思い立つころ、私の目の前に唐突に手が伸びてきた。
その手があまりに大きく、群青の空のように深い青だったことにまず驚いた私は、手元から指示書がなくなっていることに気づき、奪われた方向に顔を上げてさらに驚いた。

民族のような装い。鋭く尖った緑の眼。その目が指示書の内容に目を通すようにすらすらと動く。
読み終えるなり、ふん、と思案するような声を漏らした鳥人……もといリト族は、その大きなくちばしの先をさすりながら不思議そうに私を見下ろし、指示書を摘むようにして私の眼前にぶら下げた。

「何か作業内容で困ってることでもあるのかと思って来てみれば。何だ、簡単な作業ばかりじゃないか」

低い声に、男性だと気づく。
クセのある物言いでけだるそうにそう言ってのけるリト族に、私は指示書を受け取りながら、恥を偲んで事情を説明した。

「その……文字の読み書きができず、指示書の内容がわからないんです……」

「え?」

「指揮官のリーバル様に作業内容を尋ねたいのですが……今どちらにいらっしゃるか、ご存じないでしょうか」

「……僕が指揮官だ」

「えっ、あなたが!申し訳ありません、そんなことさえ把握しておらず……」

「いや、むしろ文字が読めない者がいるとも想定せず、準備不足だったこちらの落ち度だ。……さすがにそれじゃ作業に取りかかれなくて当然か」

「いえ、そんな!とんでもないです」

「そんなにかしこまられると、やりづらいな……。もっと肩の力を抜いたらどうだい?」

彼の言うとおり本当に準備不足なら、私以外にも作業に手こずっている人がいてもおかしくないはずだ。
しかし、この陣営にあてられた者は皆、テキパキと与えられた仕事をこなしている。
彼の指示が的確で無駄がない何よりの証拠だ。かなりできる人に違いない。

そんなところからも気難しそうな人に思えたが、存外にも気遣ってもらえたことには心底ほっとした。
リーバルはほんの少し笑みをこぼすと、私の手のなかの指示書を覗き込みながら順を追って説明してくれた。
かなり噛み砕かれた説明だったので、必要事項だけ抜粋してくれたのだろう。初対面のはずなのに、ここまで理解を示してくれていることに感謝の気持ちでいっぱいだった。
彼は私に説明するだけではなく、同じ作業班の人たちにも私の事情を説明し、困ったことがあれば何でも相談に乗るように指示まで出していた。

「何から何まで……本当にありがとうございます!指揮官」

「……リーバルでいい」

リーバルは少し気恥ずかしそうにそう言い残すと、後ろ手に組んだ手を片手、ひらりとかざし、ゆったりとした足取りで去って行った。
この人が指揮官で本当に良かったと心から思うと同時に、私はそんな彼の人となりに強く惹かれた。いわゆる一目ぼれだ。

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厄災との戦いが終結して以降、私は毎日時間を作って城下町の図書館に足を運んでは読み書きの勉強をしている。
もし文字の読み書きができるようになったら、あのときのお礼を手紙にしたためて彼に届けたい。その一心で。

そうして、またいつか再会が叶えば、そのときこそ自分の想いをちゃんと伝えたい。

「リーバル様の、綴りは……こうかな?」

ノートの端に、小さく書いてみる。
何だか違和感がある気がしないでもないけれど、確かこんな感じだった気がする。

そのとき、私のすぐ後ろでクスクスと笑い声が聞こえた。
聞き覚えのある声にどきっとして振り向くと、今まさに考えていた人物ーーリーバルーーがそこにいた。

「り、リーバル様!?どうしてここに……」

思いがけず出くわしたことに喜びよりも驚きと動揺がないまぜとなって、上手く舌が回らない。

「ちょっと城に野暮用でね……。早々に用事が終わっちゃったから、リトの村に帰る前に城下を散策してたとこだよ。
こんなに本が所狭しと並ぶのをお目にかかったことがなかったもんで、気になって立ち寄ってみたら……まさか、あのときの君がいるとはね」

かろうじて「そうなのですね」と絞り出すのがやっとな私に、リーバルはしたり顔で口角を上げた。
少し意地悪だが、そんないたずらじみた仕草にさえ見惚れてしまう。
直接お話しているこの状況ですでに気が動転しそうなのに、あろうことかリーバルはテーブルに手をつくようにして私の手元を覗き込んできた。あまりの近距離に、緊張で肩がこわばる。
羽毛が今にも掠めそうなほど近い。
ほのかに伝わってくる彼の熱気に嫌でも意識させられ、鼓動が早くなる。
そんな私の気を知ってか知らずか、リーバルはこちらの様子に構いもせず、私のノートをじっとながめている。
おもむろに伸ばされた白い指先が私の書いた文字を辿り、ノートの端の綴りで止まった。

「あっ、それは……!」

まさか本人に見つかるとは思わず、嫌な汗が背を伝う。
リーバルの目が微かにだが驚きに見開かれた。しかし、その目は次第に細められ、眉間にしわが寄る。

不快にさせただろうか。
喉の奥に引っ込んだ声をどうにか絞り出し、詫びようとしかけたところで、私より先にリーバルが沈黙を破った。

「まさかとは思うけど、もし僕の名前の綴りのつもりなら、ここ、ちょっと違ってる」

「は……えっ?」

想定外の指摘に、思わず間抜けな声が出た。
リーバルは呆ける私からペンを奪うと、私の書いた文字の下にさらさらと正しい綴りを書き記し、ふたたびペンを戻してくれた。
微かに触れた大きな指先は、私の手と違ってしなやかな毛並みで、美しさのなかに少しだけ男性特有の無骨さが感じられたような気がした。
そんなほんの些細なことに、また胸が高鳴る。

そこに書かれた文字は彼の潔癖なまでの高潔さを表しているようで、すごく、綺麗だ。
感激のあまり言葉を失っていると、肩にそっと手が置かれた。

「ちゃんと覚えてくれよ?……アイ

「私の名前……どうして……」

振り返ったときにはリーバルはすでに踵を返したあとだった。
”あのとき”のように組んだ後ろ手の片手をひらひらとかざす彼に、収まりかけていた鼓動がまた騒がしくなる。

威圧的だと思わせておきながら、不意にふわりと吹き渡るそよ風のように穏やかな側面を見せつけられる。
そこに魂胆なんてものはなく、自然に、さも当然に、私の心をいとも簡単に巻きさらっていくのだ。

彼の背中が見えなくなったころ、詰まりかけた息を深く吐き出し、崩れるように椅子に腰を落とした。
ノートの端に書き足されたそれを指でなぞると、胸が掴まれたようにきつく締まり、顔がかっと熱くなる。

こんなものを見られたんじゃ、すでに想いは伝わってしまっているだろう。
だけど、心は不思議と気落ちすることもなく、むしろ期待に満ち溢れてさえいる。

この想いは、遠からぬ未来に必ず届けてみせよう。
そう固く心に誓うほどに。

(2023.7.26)


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