「厄災との戦いからもう半年、ですか……。月日が経つのは早いものですね」
馬宿の主人はハイラル城からの知らせに目を通すなり、感慨深げに唸った。
「うちはアッカレ砦の麓ですから一時は避難を余儀なくされましたが、幸いなことに被災状況は軽度で済みました。
こうしてすぐに営業再開することができたのも、前線で戦ってくださった皆さんの尽力の賜物です。本当にありがとう」
柱にもたれながらやり取りに耳を傾けていたリーバルは、ふん、とまんざらでもなさそうに鼻を鳴らすと、片翼をひらりと掲げた。
目立ちたがりで名声を欲したがる割には、こうして面と向かって礼を言われるとさらりとかわす。
出会った当初は素っ気ない人だとばかり思っていたけれど、多分照れ隠しなんだろう。
「お二方は、このあとどちらへ向かわれる予定ですか?」
「本日はこのあとヒガッカレ馬宿へ配布に向かい、明日ゾーラの里へ向かう予定です」
「そうでしたか。であればご提案なのですが、ヒガッカレ馬宿への配布はぜひ当馬宿に任せていただけないでしょうか。
馬宿や馬たちが無事でいられたのも、あなたがたの功績があってのことなのです。どうかご恩をお返しする機会をいただきたいのです。
あちらへは物資のやり取りで頻繁に行き来しておりますから、どうかご安心ください」
「お気持ちはありがたいのですが、私たちも依頼を受けて配布しておりますので、直接届ける義務が……」
「ヒガッカレ馬宿まで届けて折り返していては、距離も時間もかかります。
ですので、本日はこのまま当馬宿にお泊りいただいて、明朝ゾーラの里にゆっくり向かわれてはいかがですか?
もちろん宿代はいただきませんし、食事もご用意いたしますよ」
「ですが……」
宿代や食事代についてはゼルダから事前に配布物とともに十分すぎるほどの経費を受け取っているため悩むところではないが、主人の申し出は非常にありがたい。
ハイラル全土の配布のため、ただでさえリーバルには負担をかけるというのに、私を背負っての移動で負担は倍だ。
彼を一番に思えば、ぜひともお言葉に甘えたいくらいだ。
けれど、信頼して預けていただいた仕事を易々と他人に任せてしまうのは、とてもじゃないが気が引ける。
やはり断ろうと口を開きかけたところで、リーバルが割って入ってきた。
「……ま、国書とはいえ密書の配達ってわけじゃないんだ。まだまだ先が長いことを考えれば、甘えられるところは遠慮なく甘えてしまうってのも悪くないんじゃないの?
それに、この先の移動中に天候が傾けば、寝床がないところで雨宿りしなきゃならなくなるかもしれないんだしさ」
私が何か返すよりも早く、リーバルは片翼を差し出してきた。
さっさと配布物を寄越せということだろう。
申し訳ない思いで宿の主人に視線を送るが、朗らかに笑んでこくりと頷くだけだった。
あまり固く断って厚意を無碍にしてもしょうがない。
渋々と持ち物から配布物を取り出しリーバルに差し出す。
彼はそれを受け取り目を通すと、宿の主人に渡した。
「それじゃ……ありがたく泊めさせてもらうよ」
「ええ。ごゆっくりお過ごしください」
リーバルは私に手荷物を預けるとさっさと宿の外へ出て行った。
これまで彼の図太さに呆れることはあったが、ここぞというところでわざとそういう役回りを買って出てくれるところには感謝しかない。
外で伸びをしているところに犬がまとわりつき、慌てふためく彼の姿に思わず吹き出す。
「その……立ち入ったことをお聞きしてしまいますが、お二人はお付き合いをされているのですか?」
「は……えっ!?」
突然何を言い出すかと思えば。動揺を隠しきれず狼狽える私とは裏腹に、宿の主人は相変わらずにこやかだ。
「仲がよろしいようなので、もしやと」
「そ、そのはず、です」
恋人だとはっきりと口にしたいが、恥ずかしさでつい言い淀んでしまう。
「そ、それでは、少し外に出かけてまいります」
手早く宿泊の手続きを済ませると、手荷物を預けリーバルのあとを追うことにした。
出てすぐのところにいるものと思っていたが、宿の主人と雑談しているあいだに見失ってしまったらしい。
たき火にあたっている旅人に紺のリト族を見ていないか尋ねてみたところ、宿の裏手に向かったとのことだ。
存外近くにいてくれて良かった。
彼と私とでは遠近の感覚がちょっと違う。以前ちょっとそこまでで別の地方の境まで飛んで行かれたときには正直困った。
さすがにこの旅のあいだはずっと二人きりの行動だし、一人置き去りにされるようなことはまずないだろうが。
馬宿の裏手に回ると、牧場の囲いの向こうに少し開けた空き地があり、断崖に近いところに数本立つ木のそばにリーバルを見つけた。
景色でも眺めているのだろうか。木の根元にもたれ、私の接近にも気づく様子がない。
背後からそっと忍び寄り、覗き込んで声をかけようとしたところで言葉を飲み込んだ。
景色を眺めているものと思っていたが、目元の赤い縁取りは穏やかに閉ざされている。
あぐらの片膝を立てて両翼を投げ出し、微かに寝息まで立てている。
馬宿の近くとはいえこんな無防備な姿を外で晒すなんて、余程疲れが溜まっていたんだろう。
村があのような状態だったんじゃ、ろくに眠れもしなかったのかもしれない。
「……おやすみなさい」
そっと声をかけ、私もかたわらに腰を下ろす。
思えば、いつも守ってもらってばかりだった。
こんなときくらい、私がそばで見守ってあげたい。
「……アイ……」
ふいに小さな声で名をささやかれ、どきりとする。
「なんだ、寝言かあ」
いつも不機嫌そうに眉間に皺を寄せているのが、眠るとこんな穏やかな顔つきになるんだもんなあ。
肩に垂れた三つ編みの先を指でなぞると、思わず笑みがこぼれる。
またこうして一緒にいられるだけで、こんなにも満たされるなんて。
「……いつもありがと」
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「リーバル?」
声をかけられたき火から顔を上げると、不思議そうに覗き込んでくるアイと目が合った。
無意識のうちにぼんやりしていたようだ。
「ビーフシチュー。あまり手を付けていないようだけど、もしかして食欲ない?」
「いや、問題ない。ちょっとぼんやりしてただけさ」
ヘブラでの騒動でずっと気が張り詰めていた反動か、このまったりした旅路でつい気が抜けがちだ。
迂闊なことに昼間もついうたたねしてしまっていた。
一時してアイが起こしてくれたが、あのまま起こされなければ夜まで深く寝入ってしまっていたかもしれない。
「そういえば、うたたねしてたとき寝言を言ってたけど……もしかして、私の夢でも見てたの?」
口元に運びかけた肉の塊がスープボウルにぼちゃりと落ちる。
「は……はあ?何言って……」
そんなはずないだろ。そう言いかけた途端、夢の内容がふと思い出される。
何の脈絡もない内容だが、城下町のアイの家で過ごしていた日々の夢を見ていた。
有事の直後に半ば無理やりこの旅に同行させられ、初めこそ姫を恨みかけた。
だが、道中アイと取り留めもないやり取りをするなかに、彼女と暮らした日々を思い出し、何だかんだで楽しんでいる自分に気づく。
「ねえ、どんな夢だったの?」
スープをすすりながら無邪気な視線を投げかけてくるアイの口角は、いたずらに歪められている。
僕をからかおうとしたってそうはいかない。
「さあ、もう忘れたな」
「うそ、覚えてるくせ……に……」
彼女のあごに指をかけ唇に残るシチューを拭っただけで頬を染めるうぶな彼女に、もう一つお仕置きしてやろうと浮かべ指に付着したシチューを舐める。
アイの丸い耳を隠す髪をそっと梳かすと、たき火の炎のように赤くなった耳たぶが露になる。
すっかり固くなった肩に手をかけ耳にそっと口付けてやると、彼女はびくりと体を震わせた。
「たとえ覚えてても、君には教えてあげないよ」
笑いたいのを堪えつつそう吹き込めば、アイは涙目になりながら僕を睨んだ。
やりすぎたかと思ったが、彼女はすぐに破顔し困ったようにはにかんだ。
「相変わらず意地悪なんだから……」
君は、相変わらずかわいい。少しでもそう思ってしまったことなんて、絶対に口にしてやるもんか。
高鳴る鼓動を悟らせまいと視線を逸らすと、冷めかけのシチューにさっさと口を運んだ。
(2023.6.26)