天翔ける:バイト編

8. いざ、出立

翌朝。配布物と配布順序の記された指示書を受け取ると、村の人々に挨拶を済ませリトの村を発った。
指示書によると、まずは北のデスマウンテンへと向かいダルケルに渡す手筈になっている。
ゼルダ様とリンクは西のハシビロ湖を経由してハイラル城へ帰還するとのことで、リトの村の桟橋を渡り切ったところで別れることになった。

「では、リーバル。アイをよろしく頼みます」

「……承知仕りました、姫」

胸に手をあて恭しく腰を曲げるリーバルは仕草こそ礼節をわきまえているかのようだが、軽侮けいぶするような眼差しや愛嬌の微塵も感じられない声のトーンから、昨日の強要まがいなゼルダの依頼をまだ根に持っていることがうかがえる。
慇懃無礼なリーバルにゼルダはこちらに目配せすると困ったように笑みを浮かべた。

半年後に控えるパーティーに備え城の修繕を急いでいる。大工だけでなく城の兵士たちも重労働を課されているなか、リーバルの助けがどうしても必要だ。
“配布物”といえばさも宣伝ビラのようだが、これはただの配布物とはわけが違う。ハイラル城直々の案内ということは、国書も同然なのだ。

先の戦いでハイラル中の民が結託し、かつては敵だった者までが決戦時にはこちらの味方についていた。実質世界が統一されたといっても過言ではないだろう。
けれど、勢力が統一されたからといってよこしまな考えを抱く者がいなくなったことにはならない。
城に人を招く日は警戒態勢も高まるが、堅固な要塞とはいえ万全とは言い難い。招待客に紛れて侵入する輩も現れるかもしれない。
だからこそ、できる限り内々にして、限られた人数で配布を行うのだ。

ゼルダは私を気遣いリーバルと再会できるよう取り計らってくれたが、それはあくまで人選の話だ。
この任には、信頼のおける人物にこそ大切な役目を託したいというゼルダの思惑が込められている。リーバルは、それをわかっているのだろうか。

相変わらずむすっと眉根を寄せたままのリーバルに、先の不安が募ってゆく。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ゼルダとリンクに別れを告げると、リーバルと私は空へと舞い上がった。
ふたりきりになってからも無言を貫いたままのリーバルに私もどう声をかけるべきかわからず、つい無口になってしまう。
ククジャ谷を越え平原が見えてきたあたりで、彼はようやくこちらを振り返った。そこに怒りの色はなく、普段通りの眼差しに少しほっとする。

何か言いたげにちらちらと視線を寄越してくるものの、どこか言葉をためらっている様子が気にかかる。
どうしたの、と問いかけたところで、前方の景色に目を奪われた。

「あの木……!」

穏やかな陽光に照らされ煌めく鮮やかな緑。そよ風にふんわりと揺られる梢は、彼と二人、あの木陰で過ごしたひとときを思い起こさせる。

「もうさすがに忘れちゃいないか。当然、あの約束・・・・も覚えてるよね?」

まさかとは思うが、過去の記憶で婚約したことを言っているのだろうか。彼自らそんなことを言い出すとは思わず、狼狽えてしまう。

「あ、当たり前だよ!私はてっきり、リーバルはもう……」

「僕が、何だって?」

「……やっぱり何でもない」

そうだ。リーバルと再会したとき、半年疎遠だったにもかかわらず、最後に私の家で過ごしたあのときと同じように私への想いを表してくれたじゃないか。
今回の任に助勢してくれたのだってそうだ。
ハイラルへの義理立てよりも私の心情を尊重してくれたのかな……なんて、浅はかだけど、あのときの彼の眼差しを思い返せばそんなふうに自惚れたくもなる。
彼の気持ちは、ずっと変わってない。なのに私は、思い込みが先走って一人で焦ってばっかりだ。

「……アイ

あやすような呼びかけに、自分の表情が沈んでいたことに気づく。

「な、なに……」

「我慢してるだろ」

何に対してかはっきりと指摘されたわけでもないのに、図星を突かれたときのように彼の言葉が胸に深々と刺さる。

「僕に遠慮して言いたいことも言えないなんて、らしくないんじゃないか?以前なんて、僕の沽券にかかわるかどうかなんてお構いなしに野次ってきてたくせにさ」

「そ、そうだったかな?」

自分でも驚くほど乾いた笑いに、リーバルは短く息をこぼした。

「この先ことあるごとに君の辛気臭い顔を拝むくらいなら、はっきりさせておこう。長らく離れて暮らしていたからといって、僕らの関係が変わるわけでも、約束ごとが帳消しになるわけでもない。もっとも……君が変化を望むっていうなら話は別だけど」

「そんなこと思うはずがない!」

思わず言葉を遮ってしまって、はっと口をつぐむ。じわじわと恥ずかしくなってきてうつむく私に、リーバルは少し驚きつつも含み笑う。

「ほーらね、ちゃんと口に出せたじゃないか」

「あ、あなたが意地悪言うから……!」

彼はひとしきりおかしそうに笑っていたが、ふと真面目な顔をして声を低めた。

「……強がるのはもうやめるんだ。つらいのをごまかすように笑う君なんて、見たくない」

単にさっきの私の言動のことを言っているようには聞こえなかった。
リーバルにはきつく咎められたこともあったが、彼なりに考えてのことだと知っている。だからこそ、発言に落ち込むことはあってもそれで彼を嫌ったことはない。
けど、私は自分に落ち度があると、何も言えず取り繕うことにいつも必死だ。彼はきっと、私のそんなところまで見てきたんだろう。

曖昧に頷き返すと、彼は探るようにこちらを見つめ、ふと思い立ったような顔をした。

「ああ、言い忘れてたけど、この任を終えたらまた君の家に身を寄せる気でいるから」

この流れでそうくるとは思わず、あまりに唐突な宣言に驚く。

「ほ、ほんと!?」

「まあね。そもそも書き置きを残したはずだけど。用事が済んだら戻るって」

「た、確かにそうだけど……」

「何、ご不満かい?」

そんなわけがない。……とはさすがに言えなかったが、私は嬉しさを隠せず左右に首を振った。

「じゃ、そういうことで」

相変わらず強引だ。けれど、私の不安はすっかり取り払われていた。
やっぱりリーバルは一枚上手だ。彼の手にかかれば、自分のことなんてすべて見透かされてしまっているような気さえする。

デクの樹様の桜がかすみがかって見え始めたころ、ふと背後を振り返った。
すでに遠くに見えるバーチ平原のなかに、ごく小さいあの木を見つける。

いつかまた、あの木の木陰で二人過ごせたら……。

(2022.08.01)

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