宙にたゆたう

18. その鷲、祝杯をあげる(リーバル視点)

村の仲間がこの日のために英傑の衣に合う衣装を仕立ててくれた。
着なれた武具を外し、それに着替えると、ラフなパーティーとはいえ少し気が引き締まる。

スカーフも普段の長く垂らす巻き方からこの城のお偉方がするような短い巻き方に変えてみたが、……うん、このほうが締まって見えるな。

アイのぶんも仕立ててもらっていたが、完成を間近に控えていたころ、姫から「アイには自分からサプライズで衣装を渡したい」と告げられ、やむを得ず譲ることにした。
姫が仕立てた服を身にまとうアイも見てみたいと思ったのもある。

仕立て屋に頼んでおいたあれは、また別の機会に彼女に渡すとしよう。

身支度がちょうど整ったころ、姫が大きな包みを手に僕の部屋に現れた。

姫は僕の姿を見るなり、「様になりますね……」とあごに手をあてながら神妙な顔で納得したようにこくこく頷く。
当然のことを言われただけだというのに、何だか気分がいい。
思わず頬が緩みかけるが、上機嫌であることを悟られるのは好きじゃない。気を紛らせるために目を伏せてかわす。

「……何か用かな?」

スカーフの位置を整えるふりをしながら用向きを尋ねる。
姫がたくらみを匂わせる笑みを浮かべたことで、手にした包みの中身の正体に何となく察しがついていた僕は、咄嗟に手で制した。
すると、彼女は途端に不服そうな顔になった。
この姫は以前からこんなに茶目っ気たっぷりだっただろうか。公の場では淑やかそうに振る舞うもんだから正直意外だ。

「ついに、アイの服が完成したのです!
これから彼女にお渡しするので、その前にぜひリーバルにも見ていただきたかったのですが……」

「いや、ここでは結構だよ。
あとの愉しみに取っておきたいからね」

念を押すと、彼女は「そうですか……」と残念そうにつぶやいた。
せめて話だけでも聞いてほしいらしく、包みの中身について説明し始める。

ーー包みには、姫いわく、ワンピースと呼ばれるものが入っているらしい。
ドレスと呼ぶには少し裾が短く、簡素な意匠とのことだ。

リト族は上半身や首元には衣をまとうが、下半身には何も巻かない。
体の造りが根本的に異なるゆえの服装の違いは大いにあるだろうけれど、ハイリア人の被服文化にはどこか奥ゆかしさが感じられる気がする。

リトの民芸品も決して劣りはしないが、ハイリア人が着るものはリトの女が身に着けるものよりも種類が多いことをこの地を訪れてから知った。
何より、公務のかたわら自らこしらえてしまう彼女の仕立ての腕や手際の良さには一目置いてやるべきだろう。

弓術と飛行技術……武道一辺倒な僕とは違い、己の使命とは別に王族としての作法やたしなみにも注力してこなければならなかったのだろうと思うと、同情心が湧かないこともない。

しかし、そんな苦労をおくびにも出さず、姫は今、アイがその衣に袖を通したときのことを想い、至極嬉しそうな笑みを浮かべている。
この笑顔を、昨年自分の使命をまっとうできず苦悩していたころの彼女に見せてやりたいな。

「しかし、君もなかなかやるじゃないか。
このスカーフも君が直々に仕立てたと聞いたときには驚いたね。
そのワンピースとやらもさぞ悪くない出来栄えだと思ってるよ」

密かに過去の苦労を労う意味を込めて率直に褒めてやれば、姫はますます嬉しそうに笑みを深める。
直後、僕は柄にもなく世辞を口にした自分を蹴りつけたくなった。
姫の目の色が変わり、しまったと思ったときには遅く、彼女はこの服を仕立てるに至る経緯を披露……いや、タガが外れたようにまくし立て始めたのだ。

「そうでしょう、そうでしょう!
さすがはリーバル、お目が高いです。身だしなみに気を配られているあなたならきっと理解してくださると確信していました!
少し裾が短く、ひとつなぎで着られる身軽なこの意匠が、近頃町娘たちのあいだで流行っているそうなのです。
先日久しく城下にお忍び、いえ、偵察にうかがった際、町で一番の仕立て屋からこのことを聞いたとき、私は深く感銘を受けました。
城内の侍女たちもせわしなく動くのに重たいドレスを着させていますから、ゆくゆくはこういった軽装を取り入れても良いかと考えていて……」

姫の話は途中から入ってこなかった。
……どおりでこの部屋に入ってきたとき、僕の格好を見て「様になる」などと口にしたわけだ。

何事にも研究熱心なのは知っていたが、面と向かってむき出しの情熱を押し付けられるといささか冷めてしまう。
これなら影があった厄災のときのほうがまだ……と、一転して不謹慎な感想に至りかけたとき、僕は考えるのをやめた。

懐から懐中時計を取り出し、さも今気づいたように刻限を告げる。

「……そろそろ時間だろ?
こんなところで油を売ってる場合じゃないんじゃないの?」

「そうでした!長々とごめんなさい。
リーバル、あなたは先に中庭に向かってください。
皆そろっているはずですから」

「私はアイを連れて後ほど合流します!」とやけに意気込んだ様子で姫は部屋を後にした。
ようやく縄を解かれ、肩の力を抜く。

「やれやれ……朝っぱらから騒がしいやつらだよ」

バルコニーの窓を開け、正午前の草花の香りを含んだ温かい空気を吸い込み、一息に吐き出す。
口ではそう言いつつも、あの衣をまとうアイの姿を思い浮かべると、今から楽しみで仕方がなかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

庭園に向かうと、アイと姫を除く見慣れた面々がすでにそろっていた。
皆英傑の証である青の衣を身にまとっているが、僕と同じく祝賀向けにめかしこんでいるようだ。
それぞれの種族なりの装いではあるものの、戦いに赴くそれとは異なる軽装をしている。

ダルケルは飲みきれないほどの酒樽をガゼボの隅に運んでいる最中らしい。
軽々と酒樽を担ぐ手と反対の手には、樽と同じくらいの大きさの、骨付き肉の形をした岩ーー特上ロース岩ーーを持ち、樽を下ろしては一息つく代わりにかじりついている。

リンクとミファーは侍女が運んできた料理や飲み物をテーブルに並べている最中で、ミファーはクッキーの入ったかごをリンクに示し、何か話しかけながら時折くすりと笑っている。

そんななか、ウルボザはガゼボの囲いにもたれてグラスをあおりつつ、薄切り肉の乗ったひんやりメロンを口に運び、頬を緩ませている。

こうして俯瞰で見るとつくづくユニークな顔ぶれだと思う。

「よお、リーバル!ちょうどいいところに来た!
おめえも一杯どうだ?」

「いや、今は遠慮しておくよ」

ダルケルが酒樽を手にしたままこちらに来ようとしたので、片手で制する。
彼の定義では、ひと樽ぶんが一杯に等しい可能性があるからだ。

テーブルコーディネートを済ませたリンクとミファーが、こちらに歩み寄ってくる。
ミファーの手にはちょっとしたつまみが丁寧に盛られた皿が乗っており、落とさないように慎重に運んできた。

「リーバルさんも、味見してもらえないかな?
私とリンクでがんばって作ってみたの」

「そのチーズが乗った焼き菓子、なかなかいけるよ!
ミファーに料理の才能があったとはねえ。あんた良妻になるよ」

ウルボザに褒められリンクを横目に顔を赤くするミファー。
……ふん、なるほどねえ。

文字通り何でも見境なく食すリンクこいつが絡んでいるなら断固拒否するつもりだったが、ミファーが主体で作ってウルボザのお墨付きを得ているということなら食べてやらないこともない。

「それじゃ、一ついただくよ」

小さな串に刺さるそれを一つつまみ、口に運ぶ。
ウルボザが口元に手を添えて妖艶に笑んだので、何か様子がおかしいぞと感づいたとき、舌に激痛が走ったと同時に僕は激しくむせた。

「おやおや、リトの英傑様ほどのお方が、まさか辛い物が苦手とはねえ」

ウルボザはからかうような口ぶりでそう言うが、この辛さが尋常じゃないことくらい、先に口にしたであろう彼女ならわかっているはずだ。
いや、事も無げに言ってのけるということは、この口から火を噴くレベルの辛さにまさか耐性があるとでもいうのだろうか。

「げほっげほっ!かっっら!!
ちょっと、めちゃくちゃ辛いじゃないか!何が入ってるんだよこれ!!」

「姫様が品種改良したポカポカ草が入ってるの。
ほかのみんなはおいしいって言ってくれたんだけど……」

ミファーの表情が曇るが、今の僕はフォローしてやれるほどの余裕をあいにく持ち合わせていない。

僕と彼らの味覚の違いを考慮せず、無意識に僕のプライドを傷つける彼女に苛立つ。
だが、今回に限っては別だ。ウルボザやダルケルはともかく、この味覚音痴とだけは。同じ土俵に立つのは心底馬鹿らしい。

様子を見守っていたダルケルとウルボザが高らかに笑い、矛先をそちらに突き付ける。

「君たち、こうなるとわかってて食べさせたんだろ!人が悪すぎるんじゃないの!!」

「ちょっとからかってやろうと思っただけじゃないか。
そんな目くじらを立てるんじゃないよ」

「おうよ!
こんなめでてえ日にそんなつんけんしてるとせっかくの酒がまずくなっちまうってんだ」

「誰のせいで朝から気が立ってると思ってるんだい!
めでたいのは君のその岩みたいな頭だろ!まったく……」

「リーバルさん、ごめんなさい……。
からかうつもりはなかったの」

ミファーが申し訳なさそうに水の入ったグラスを差し出してきたので、気を鎮めながら「わかってるさ」と受け取る。
少量含んだ水に溶け出した辛さが口内に広がるが、水の冷たさのおかげで先ほどよりは幾分かマシになった。

「やれやれ……まだ昼前だというのに。
これならハイラル中を一日飛び回るほうがまだ楽だよ」

グラスをミファーに突き返し、皆から距離を取るべくガゼボの隅に移る。

「皆、そろいましたね」

不意にかかった声に、怒りを忘れ、肩越しに振り返る。

青のドレスを身にまとうゼルダが城の階段から降りてくるところだった。
その後ろにアイの姿を見つけ、息が止まった。

「わあ、アイさん、綺麗……!」

「その髪、御ひい様に結ってもらったのかい?見違えたね!」

「よく似合ってるぜ!なあ、相棒!!」

思わず顔を背けてしまった僕には、口々にアイを褒める声が遠くに聞こえる。
緊張でくちばしが震える。

「リーバル!そんなところに突っ立ってないで、あんたもこっちに来て見てやんなよ!」

ウルボザの声にはっとし肩越しに見やるが、僕を見ていたアイと視線が交わり、反射的に顔を反らしてしまった。

ゼルダとミファーが声を潜めて笑うのに交じって、ウルボザが「まったく、近頃のヴォーイは……」と小ばかにする声が耳に届く。
忘れかけていた怒りがまたふつふつと呼び起こされていく。

今日は厄日だ。
なんで今日に限ってこいつらの標的にされなければならないんだ。
これじゃ英傑として、リト族一番の戦士として名折れだ。

苛々する気持ちをどうにか抑えようと腕組みをしたとき、唐突に肩を叩かれた。
今度は何だと振り返れば、相変わらず何を考えているかわからない顔で僕を見上げてくるリンクとばっちり目が合う。

思えばこいつが自分から僕と接触を持つのはめずらしいな。
素直に驚いたが、瞬時に、この流れに乗じて何かけしかけてくるつもりだろうかと警戒する。

「な、なんだよ?」

ふと、リンクのとなりの巨岩ーーいや、でかっぱらに気づき、見上げる。
嫌な予感を覚え、身をひるがえそうとしたが、一瞬判断が遅れてしまった。

「うおっ!?」

一瞬何が起こったのかわからなかった。
胃から何か飛び出すのではと思うほどの圧迫を腹に感じたかと思うと、羽ばたきなしに体が浮いた。
ダルケルの肩に担がれていることに気づいたとき、この大木のような巨漢は僕の聴覚への配慮なしに大声で叫んだ。

「よくやった、相棒!
リトの大将、捕獲成功だ!!」

呑気にダルケルのハイタッチを受けているリンクに、英傑として補佐役を担うことになったときでさえ感じるまではなかった殺意を覚える。
だが、彼もまたダルケルの加減知らずな腕力で腕を痛めたらしく、ハイタッチを交わした手を押さえながら悶えているのを見てそれはすぐに消え失せた。
むしろ少し気分がいいと思ったのもつかの間、ダルケルが僕を抱えたままズンズンと歩き出したので、腹をきつく圧迫される気持ち悪さと酒樽のように担がれることへの羞恥心から即刻最悪な気分に叩き落された。

「おい、よせ!!放せよ!!!」

手足をジタバタさせて必死に拘束を解こうとするが、日々鍛錬に励んできたこの体でも一向に敵わない。
無駄に暴れたせいで僕の大事な羽が無残にも失われてゆく。

この能筋野郎……!
憎たらしいほどの満面の笑みを浮かべる岩頭に怨嗟の念をぶつけているうちに、アイの目の前に放るように降ろされる。

「この僕をまるで物みたいに担ぎあげるとは言い度胸じゃないか。
お礼に後悔させてあげてもいいんだけど?
そうだな……手始めに飛行訓練場の的に磔にして、バクダン矢の餌食にでもしてあげようか。
僕が直々にお見舞いしてやるんだ。さぞ君も光栄だろ?
僕を本気で怒らせるとどうなるか、せいぜいその岩石みたいな頭にしっかり叩き込みな!いいね!?」

「ちょっと、リーバルってば……!」

ダルケルに対し怒りのあまり思いつく限りの罵倒を浴びせていたが、困ったように声を上げたアイの声に我に返る。
乱暴に担がれたせいで毛羽立った羽を整えながら、意を決して振り返る。

姫に押し出されるようにして前に出たアイは、彼女が仕立てたあの青の衣を身にまとっている。

アイの体のラインにフィットし、胸や臀部の丸みをしなやかに、かつ露骨になりすぎない程度に際立たせている。
僕のためにこしらえたスカーフのときにも織り込まれていた、細やかな刺繍は、彼女が風を使えることを踏まえてか、風を模した紋様を描いている。
彼女の力が発覚したのは数日前のことだ。この数日間で仕上げたのだろう。

つやのあるすべらかな髪に差し込まれた小さな花の髪飾りは、衣と同系の青を数種使った淡い色合いで、彼女のたたずまいをより洗練されたものに見せる。

姫が仕立てたワンピースとやらは、アイによく似合っていた。
むしろ、想像を上回って、かなり……いい。

「リーバル、どうですか?
アイにも皆さんとおそろいの青い衣で服を仕立てたんです」

「……見ればわかるさ」

「リーバル、その素っ気ない態度はなんだい?
アイだってあんたに喜んでもらおうとおめかししたっていうのに」

「ウ、ウルボザさん……!」

不愛想に吐き捨てた僕にしびれを切らしたウルボザがたしなめるようにそう言ってきたが、フォローしてもらった当のアイは顔を赤くして彼女を制している。
はにかみ屋な彼女に免じて「はいはい」と応えると、僕はアイに向き直り、精いっぱいの譲歩で感想を述べた。

「……案外似合ってるんじゃないの?」

僕の言葉にアイは「素直じゃないなあ」と返しながらも嬉しそうに笑っている。

ダルケルの冷やかすような声援に皆が笑うので、僕はまた声を荒げるが、アイが側にいるせいか、さほど苛立ちはしなかった。

けれど、ふとした拍子に見たアイは、幸せそうに笑っているが、どこか寂しげに見えた。

(2021.3.18)

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