「アイ!」
強く呼びかけられ、混濁した意識が浮上する。
声のしたほうに焦点を合わせると、いつもの自信に満ちた顔を歪め、不安そうにこちらをのぞき込んでくるリーバルと目が合った。
「リーバル……」
名前を呼ぶと、リーバルは安堵したように深くため息をつき、苛立たしげに額を手で押さえた。
「僕と弓の訓練をしたことは覚えてる?」
「うん……リーバルのおかげで、ようやくまともに矢を当てられるようになって……それで……」
「あのとき、君はいきなり倒れたんだ。
倒れる直前まで元気そうだったから、あまりに突然のことでさすがの僕も驚いたよ」
「そうだったんだ……」
「折悪しく、あの直後に敵襲を受けるし、おかげで姫と交代で君の介抱をしながら敵と戦う羽目になった。
君は何日も目覚めないし、どれだけ大変だったかわかるかい!」
だんだんと語気を荒げるリーバルの目は見たこともないほど鋭い。
怒りの熱をはらんだ目に、じりじりと身を焼かれそうな思いだ。
だが、彼の口調は私を責めるようなものでありながらも、私が憎くて腹を立てているのではないのだと真剣な目を見れば伝わってくる。
私のことを本気で心配しているからこそこんなに怒っているのだ。
「……ごめんなさい……」
彼の目を見つめ続けることができず、絞り出すように謝罪を述べるのでせいいっぱいだった。
また迷惑をかけてしまった。
助けてもらったお礼に、彼の役に立ちたい。
その一心で弓の訓練をがんばろうと決心したばかりだったのに。
「アイ……」
思わず、目からあふれる涙を隠すように、枕に顔を押し付ける。
背後で、リーバルが息を飲んだのが気配でわかった。
「……泣くなよ」
先ほどの怒りは消え失せ、困ったような声でリーバルはぽつりとつぶやいた。
「言い過ぎたよ。……ごめん」
優し気な声に、私は余計顔が上げられず、首をふるふる振って応える。
「首を振るだけじゃ何もわからないだろ。
何とか言いなよ」
「……ごめんなさい……!」
枕に顔をうずめてそう言うと、彼はぼりぼりと頭を掻きむしり、「ああもう!」と不愉快そうに悪態をついた。
突然、強い力で腕を引かれ、上体を起こされたかと思うと、きつく抱きしめられた。
彼のあまりに唐突な行動に、止めどなくあふれていたはずの涙はいつの間にか止まっている。
「ちょっ……リーバル!?
何して……」
「……心配したよ。
もう目覚めないんじゃないかって」
そう言って、リーバルはいっそう腕の力を強めた。
その腕に応えるように、私もそっと彼の背中に腕を回す。
柔らかな羽毛越しでもわかる、鍛え上げられた体躯。
彼のぬくもりと優しい香りに包まれ、私の心臓は突き破らんばかりに激しく鼓動を打っている。
それは彼も同じようで、押し当てられた彼の胸元から微かに聴こえてくる胸の音は早い。
彼は右手で私のことを抱きしめたまま、頭をそっとなでてきた。
それにびくっとするが、あたたかい手のひらのぬくもりと、彼の不器用な優しさに胸が熱くなってくる。
ああ……私、彼のことが大好きだ。
私たちはまだ出会って数日かもしれない。
だけど、あのとき、女神様が言っていたことが本当なら、この気持ちは嘘なんかじゃないんだ。
私たちは、これまでに何度も……。
私はリーバルの胸をそっと押し返すと、涙を拭い、彼の目を見つめた。
彼は真剣な眼差しで私を見つめ返してくる。
「……リーバル、聞いて。
あなたに話しておかなくちゃならないことがあるの。
……私が、何者なのか」
リーバルは目を見張る。
「まさか……記憶が戻ったのかい?」
私はその言葉にうーんと首をひねり、言葉を選びながら話し始めた。
「半分、ってところかな……。
はっきりとは思い出せないんだけど、眠っている間にわかったことがあるの」
「ふむ……
一体、どういうことなのか、説明してくれる?」
リーバルは私の寝かせられているベッドに腰を下ろすと、腕組みをして目を細めた。
私の意識のなかに女神が現れたこと。
私は、この世界の住人ではないこと。
私がこの世界に干渉するたびに、私に関するみんなの記憶がリセットされていることを話した。
私たちがリセットされる前の時間軸で恋をしていたことについては、気が進まずどうしても話せなかった。
そして、自分の死期が近いと告げられたことも……。
肝心なことを思い出し、気持ちが沈んでいく。
それを悟られまいと、枕を抱きしめた。
「その女神とやらの話が本当だとしたら、僕らはリセットされる前の世界ですでに出会っていた、ということだね」
「そうみたい。信じられないかもしれないけど……。
でも、私は本当にそうなんじゃないかって、根拠はないけど、確信してる」
リーバルは腕を組みなおすと、目を閉ざし、じっと口をつぐんだ。
しばらくそうしていたかと思うと、すっと立ち上がって窓辺に寄り、窓の外を眺めながらつぶやいた。
「……ずっとおかしいと思ってたよ」
体をひるがえし窓枠にもたれた彼のくちばしから、ハア……と盛大なため息が漏れる。
「そもそも、君を見つけたあのときの状況だって、明らかに不自然じゃないか。
あんな辺鄙な森の中、軽装の女の子が武器も旅具も持たずに一人で倒れてるなんてさ。
しかも、容姿だってハイリア人には近いけど、耳は丸みがあるし、顔立ちもどこか違って見えるし。
さも異世界から来ましたって言わんばかりじゃないか。
むしろ納得だよ」
リーバルは捲し立てるようにそう並べ立てると、どこかすがすがしげな面差しで私を見て微笑んだ。
「ーー君の話、僕は信じるよ」
「リーバル……」
胸が熱くなるのを感じ、また目尻に涙が溜まる。
「ほらまたそうやってすぐ泣く」と眉間にしわを寄せ、彼はそっぽを向いてしまった。
普段はクールぶって尊大な態度だが、こういう照れ屋な一面を見せられるとかわいいなと思ってしまう。
そんなことを口にしようもんなら、これでもかというくらいあくどいお返しがきそうだが。
自分が知り得たことを順を追って話し終えたと思っていたところに、女神が最後に「とある能力を授ける」と言っていたことを思い出す。
「そういえば……!女神様がね、私に風をーー」
そこまで言いかけたとき。
廊下を走ってくる音が聞こえたかと思うと、勢いよく部屋の扉が開かれた。
「アイ!目が覚めたのですか!?」
焦慮の面持ちで飛び込んできたのは、ゼルダだった。
リーバルは彼女が入ってくると同時、後ろ手を組んで窓辺に向き直った。
ゼルダは気を急いた様子で足早に寄ってくると、私の足元に跪いた。
「ああ、良かった……。
何日も目覚めないので、とても心配したのですよ。
リーバルも魔物の襲来がない限りはずっとあなたに付きっ切りで」
「っ……!
チッ、余計なこと言わないでくれるかな」
窓のほうを向いたままこちらの様子をうかがっていたリーバルは、ゼルダの一言に咄嗟に振り返り、一瞬焦りの色を見せるも、すぐに顔をしかめて舌打ちした。
先ほどあんなに苛立った様子で失態を咎めてきたのに、ずっとそばにいてくれたのかと嬉しくなるが、ふたりには今回の件で大きな迷惑をかけてしまったことには変わりない。
きちんと謝らないと……。
「ゼルダ様、リーバル。
その、すみません……こんなときに私、ご迷惑を」
私は、ゼルダに深々と頭を下げた。
「そんな!どうか顔を上げてください」
ゼルダは顔をうつむかせる私の肩を優しくつかむと、目尻を下げた。
「アイ。
あなたは意識を取り戻したあとも記憶がないまま、ずっと無理をしてきたはずです」
私をまっすぐに見つめていたゼルダの目が、悲しげに伏せられる。
「力になりたい一心で焦る気持ち、私にはわかります。
かつての私も、自分の無力さに失望したことがありますから……。
ですが、どうか焦らないで。
弓の訓練は、体調が万全になるまで許可できません。
今はしっかりと療養に専念してください」
「……わかりました」
リーバルを見やると、彼はフン、と鼻を鳴らし、窓辺に目を戻した。
「アイが倒れたのには、僕の監督不行き届きにも責任の一端がある。
少々無理をさせすぎたかもしれないね。しばらくは引き続き様子を見ることにするよ」
「そうですね。頼みます、リーバル」
私を差し置いてとんとん拍子で勝手に話を進めていく二人。
これまでは意識がなかったから羞恥などなかったが、今後もリーバルが付きっ切りで側にいると思うと、変に意識してしまい、私は慌てて口をはさんだ。
「えっ!?いや、あの、もう大丈夫です!この通り私、元気ですから」
「それが駄目だって言ってるんだ!!」
「それがいけないと言っているんです!!」
見事にハモった二人の気迫に押され、委縮した私は「すみません!」と肩を竦ませた。
ゼルダは頬を膨らませ「まったく!」とお小言をぶつぶつ言いながらも、私をそっと寝かせ、肩まで布団をかけてくれる。
一国の姫にここまでされるなんて恐れ多いと恐縮すると、城の侍女たちは遠方に避難させてあるので自分がして当然だと返され、余計悶絶したくなる。
彼女にはきっと一生頭が上がらないだろう。
「……で?
君はアイの様子を見るためだけにここに来たのかな?」
指先で三つ編みをいじりながら、リーバルが長し目を寄越すと、ゼルダははっと我に返ったように「失念していました…!」とがばっと立ち上がった。
清らかで儚げな印象と打って変わって、あわただしげな様子に、何があったのだろうと目線を投げかける。
「リンクたち……英傑の皆さんが、ようやくそろったのです」
(2021.2.25)