聖なる子守唄

12. その意図は湯けむりを掴むように

踏みしめるカーペットの柔らかな感触に久しさを覚えながら、延々と続く濃緋の廊下を歩く。
廊下の見張りに立つ近衛兵たちの目が一瞬驚くように見開かれるのもこれで何度目かだ。無理もない。突然行方をくらました私がこうして出戻ったのだ。
リーバルに協力を要請することについてハイラル側が予め策を立てていたためか、リト側の事情にも配慮してのことかはわからないが、いずれにせよこの反応を見るに事実をありのまま知らされてはいないであろうことだけは確かだ。
変なうわさが立てられていなければいいのだけれど……。

長い廊下の突き当りに目的の部屋の扉を見つけたことにより、敢えて逸らせていた思考が扉の向こうに向いてしまい、だんだんと足取りが重くなってゆく。
厚い扉の向こうの気配に心拍が上がっていくのを深呼吸で収めながら、意を決してこぶしを上げたときだった。
今まさに扉に打ち付けようとしたこぶしは宙を打った。浅黒い肌を飾る鮮やかな花が描かれた胸元が視界いっぱいに広がる。
恐るおそる視線を上げると、ウルボザはそんな私の緊張を見透かすように穏やかに微笑んだ。
上体を屈めながらこそっと耳打ちされる。

「そう硬くなることはないさ。さあ、御ひい様がお待ちだよ」

その言葉に幾分か緊張が和らぐ。ウルボザに促されるまま部屋に足を踏み入れると、窓辺に立っていたゼルダがこちらを振り向いた。
私を見つけた彼女の顔が、喜びと安堵にくしゃりと歪む。

アイ……!」

なりふり構わず早足に向かってくる健気さに胸を焦がされ、彼女が広げた両手を迎えようとしたときだった。

「ああっ!」

ドレスの裾を踏んだゼルダがつんのめる。
私の背後に控えるウルボザが「御ひい様!」と声を荒げたときにはすでに体が動いていた。
倒れかかってくる体をしっかりと受け止めると、ほんのりと良い香りが掠め、最後に彼女の髪を梳いていたあの日の昼下がりを思い出す。

抱き留めた私の腕にしがみつきながら体勢を整えたゼルダは、申し訳なさそうに眉を寄せながら「久しいですね」と笑った。

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もうもうと湯気の立ち込める湯殿ゆどの
ハイリア人よりも体躯の大きな僕がゆったりと浸かれるほど広々としたこのハイラル城内の大浴場は、普段は兵士たちが詰め合うようにして入るほど混雑するそうだが、ついていることに今は人気ひとけがない。
地下の坑道から汲み上げたという温泉水は、日々生傷が絶えない身体にじんわりと染み渡り癒しをもたらす。
もし混雑時にここを訪れたなら、城内唯一のリト族であるこの僕を兵士たちが珍しがって、色眼鏡で見られたり冷やかされたりして、こうしてゆっくりと入浴を楽しむことなどできなかっただろう。

湯口から湧き出る湯は小雨のように爽やかな音を立てながら止めどなく湯船を満たし続ける。
その涼やかな音に耳を傾ければ、心地よさに酔いしれてしまいそうだ。
しかし、このささやかなひとときを味わう僕の横でざばりと無遠慮な水音が立ったことにより、一気に現実に引き戻されてしまった。
右肩にばしゃりと跳ねた湯に顔をしかめつつ頭上を睨めば、近衛騎士リンクは湯を滴らせながら「悪い」とこうべを垂れた。

無論、こいつがわざと湯をかけてきたわけではないことくらいわかってはいる。
少なくとも人の嫌がることを積極的にするような、愚かな部類じゃなさそうだということくらいは。
ヘブラにも温泉くらいいくらでも湧いてるが、このように整備された湯殿に浸かる機会を得られたことに関してだけ言えば、感謝くらいしてやらなくもない。

だが、ハイラル城こんなところに来させられたことについては話が別だ。
聞けばアイを強制的に送還させたのも、僕がここに参上せざるを得なくなったのも、すべて奴のせいだと言うじゃないか。

長旅の労を労いハイラル王の高配によりまずは湯殿で体を癒すよう勧められたはいいものの、最悪なことに城に滞在中は夜間を除きこいつと行動をともにするよう命じられている。
彼は洗い場で行動を見張ってると言っていたが、僕が身を清めているあいだも湯に浸かっているあいだも終始じろじろと見られ続けているのかと思うと落ち着けるわけがない。
こいつと風呂を供にするなんて心底不愉快だが、一方的に見られるよりかはまだマシだと思うことにした。
そういった経緯から一緒に入ることになっただけであり、断じて厚意で誘ったわけではない。

何事もなかったかのように浴槽から上がろうとする華奢・・な背中に、腹いせに湯をかけ返してやろうかと過ぎるが、そんな子どもじみた考えを押しのけるように「おい」と声をかける。
鉄仮面のように無機質な面立ち。そこに埋め込まれたサファイアのまなこが湯けむり越しに僕を捉える。

「君さぁ、少しは愛想笑いでもしたらどうなんだい?人形みたいで気持ち悪いよ、その顔」

「……不快にさせたなら謝る」

「いや、だからちょっと待ちなよ。せっかちな奴だな。本題は別に決まってるだろ」

僕の呼びかけに再び向けられる無表情。不快なのは間違ってないけど、と思わず付け足しそうになった言葉を飲み込む。

「何?」

無機質じみた声でそう返されげんなりする。どうやら乏しいのは表情だけじゃないらしい。
淡々と注がれ続ける視線から逃れるように湯気の立ち上る白濁の湯に目を落とすと、言葉が喉の奥につかえていたのを悟らせまいと畳み掛ける。

「どうして突然アイを連れ戻しに来た?これまでは姫が表敬訪問と称して定期的に村を訪れ、件の放火事件のすり合わせを行うついでに彼女の安否を確認するってことで話がついてたはすだよ。それがどうして急にこんなことになったんだい?」

驚いた。今まで眉一つ動かしやしなかった彼の目が僅かに見開かれたのだ。

「姫様が……」

「姫?」

「いや……何でもない」

「はあ?はっきりしないな。呆けるのは顔だけにしてくれる?」

僕の悪態に彼は今度こそ踵を返した。
迂闊うかつにも奴の微かな変化に気を取られていたせいで、彼の言葉をうまく聞き取れなかった。
今しがたまで心地よく感じていた湯口の音でさえ今や煩わしく感じてしまうほどにもどかしい。

「……つくづく気に入らない奴だよ、君は」

奴は僕の嫌味など耳に入っていないとでも言わんばかりに無視を決め込み、腰に布を巻き付けた。
洗い場の椅子を手繰り寄せ腰を下ろすと、膝の上でこぶしを固め何かを思案するようにうつむいたきり、沈黙を貫いている。

無駄に開けた天井は奴の言葉こそ濁したくせに、僕の微かな舌打ちは抜かりなく反響させた。

(2021.11.27)

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