聖なる子守唄

5. 黒い炎

サキに連れられて村の入り口に向かうと、つり橋を背にリト族とハイリア人たちの人だかりが見えた。
その輪の中心にリーバルの姿を見つけ、サキの背から降ろしてもらうと、駆け寄りながら必死に声をかける。

「リーバル様!」

私の声に人だかりが道を開けるようにして開かれていき、驚いた顔のリーバルと目が合う。
しかし、彼はしたたかに舌打ちをすると、すぐに向かいの人物に視線を向けた。

輪のなかに入り込み彼のとなりに立った私は、対峙している人物を目の当たりにして目を丸くした。

「姫様……」

アイ!やはりこちらにいらしたのですね」

ゼルダは私を見つけひどく安堵したように眉を寄せたが、その目つきはすぐに冷徹なものに変貌し、リーバルを鋭く睨んだ。

「リトの主将リーバル。あなたの行ったことは、れっきとした誘拐行為です。異論はありませんね?」

「待ってください!」

「ない」と言いかけたリーバルの言葉を遮り、彼の前に立った。周囲にどよめきが走る。

「姫様、誤解です。私は彼に村民の治療を依頼され、自らの意思でここへ来ることを選んだのです。
早急な対応が不可欠だったため、やむを得ず何もお伝えできないまま城を去りました。
ですがそれは私の責任であり、ただの身勝手によるもので彼には何の罪もありません。どうか恩赦をお与えください」

もちろん、これは大きな嘘だ。だが、このままリーバルが悪者にされてしまうのも何か違うような気がして、寝起きで覚束ないあたまを必死に回転させて弁明した。

アイ……」

初めてちゃんと名前を呼ばれ、思わず振り返ると、意外そうに私を見つめる翡翠と目が合った。
当惑したように寄せられた眉に「大丈夫」と頷くと、彼は「馬鹿なのかい、君?」とぼそりと呟いて顔を背けた。

ゼルダは私の言葉に真剣に耳を傾けていたが、真偽を測りかねている様子だ。

「彼女の証言に間違いはありませんか」

「さあ?僕も急いでたし、やり取りを一字一句漏れなく覚えてるわけじゃないからねぇ。本人がそうだって言うんなら合ってるんじゃないの?」

相違を求めリーバルに問いただしたものの、のらりくらりと交わされ、ゼルダはとうとう額に手をあててしまった。

「この件についてはひとまず保留といたしましょう。ですがもう一つ、問い詰めなければならぬ事案があります」

ゼルダが一歩前に踏み出したことにより、私は後ろに下がり、リーバルのとなりに並んだ。

アイが失踪した日、ハイラル城下町の複数個所で火の手が上がり、時同じくしてリト族の集団が町を襲っていたとの報告があります。
その奇襲の責任者は、あなたで間違いないですね?」

「その通りだ。僕が手引きをした」

淡々と答えるリーバルに、兵士たちはざわめき、ゼルダは下唇を噛みしめる。

「なぜそのようなことをなさったのですか」

「ハイラルの兵士によりリトの村が襲撃に遭ったからだ。その報復と、今後の警告のためにおこなった」

「では、アイとはその最中出会ったというわけですか」

「彼女が致命傷を負っていた僕の同胞を介抱してくれてね。ぜひ協力してもらいたくて声をかけたんだ」

一貫して飄々とした態度で応対するリーバルは、初めて会ったころの彼を彷彿とさせる。
実際とニュアンスは異なれど嘘とも言い難い。とはいえ、彼のこの物言いは心証を悪くしてしまう一方ではないか。
はらはらしながらやり取りを見守っていると、ゼルダは「理由はわかりました」と頷いた。

「奇襲の際、町に火を放ったのはあなた方でしょうか」

「いや、僕らの攻撃対象はあくまで兵士と武器屋だった。町に火を放ったやつはほかにいるはずだよ」

「やはりそうでしたか」

もっと問い詰められる部分かと思っていただけに私もリーバルも声をそろえて驚いた。
ゼルダはあごに手を添えて目を伏せる。

「調査により、あなた方があくまで常駐兵を狙っていたということは事実であると判明しているのです。
ですので、証言のつじつま合わせをするためにあのような問いかけをさせていただきました」

「なるほど。君もなかなかのキレ者のようだね」

ゼルダは目を閉ざして彼の言葉をかわし、淡々と告げた。

「ひとまず、今回はアイの無事が確認できただけでも良しとしましょう。奇襲の件については追って沙汰を下します。
では……そろそろアイをこちらに返していただけますね?」

差し出されたしなやかな手は、心の底から待ちわびたものだ。なのに、どうしてだろう。今は、その手を取ることがためらわれる。
胸でこぶしを握り締め、リーバルを見上げる。

「どうした。君の待ち望んでいたお迎えだよ。とっととお家に帰りな」

ずるい。私がどんなに帰りたいと訴えても帰してはくれなかったくせに、どうしてこんなときに限って優しくするのか。
細められた目は、私の背をそっと押し出してくれているように柔和だ。なのに、その眼差しにどうしてか突き放されているように感じられて、胸の奥がじゅくじゅくと痛む。
固くこぶしを握り締め、足下に薄く積もった雪を睨む。

アイ?」と優しく声をかけながら私の肩を掴んだゼルダの手を握り締め、その手を、そっと離した。
困惑の色を浮かべるゼルダの目をじっと見据えると、決意を固め、声を張った。

「ごめんなさい、姫様。私、まだ帰るわけにはゆきません」

背後でリト族たちが驚き口々に騒ぎ始めた。
サキはテバと顔を見合わせ、チューリはそんな二人の様子に小首をかしげている。
リーバルは「なぜ」と言いたげに口を開閉させ、怪訝な眼差しで私と姫を交互に見つめている。

「どうしてですか、アイ?彼も解放すると言っているのです。無理に滞在する必要は……」

「まだ治療を待っている方が大勢いらっしゃいます。皆の治療が完了するまではここにいると約束しました。だから、私はここに残ります。
せっかく探しに来てくださったのに申し訳ありません」

「あなたがそこまで言うのなら、仕方ありませんね……。ですが、それには条件があります」

ゼルダの目が潤んだのを見逃さなかった。しかし、その目は瞬きのあいだに王女然とした眼差しにすり替わり、凛とこちらを見据える。

「リーバル。あなたが先ほど証言した”ハイラルの兵士によりリトの村が襲撃に遭った”という点が引っかかっています。
ハイラルの兵士がリトの村を襲ったというのは事実無根です。
なぜなら私は今、王の命により和平の盟約を記した書状を各地の名士に献上する役目を担っているのです。
あなた方が町を襲うより先にリトの村へ使いを出しましたが、その者とは……?」

「いや、使いの者が村を訪れたという記録は残ってないよ」

「やはりそうなのですね。わかりました。
城下町に火を放った者と何かしらの関連があるかは不明ですが、その二つの案件が同一犯だと考えると辻褄が合う部分もあるのも否めません。
よって、その調査のため今後もリトの村に訪問し、相談をさせていただきたいのです。
その際、アイの無事を確認させていただくこと。以上がアイを今後もここに置く条件です」

「いいだろう。僕らも手をつかねてたところだしね。ひとまず停戦といこうじゃないか」

両者構えていた武器を収め、緊迫した空気が幾分か和らぐ。
その後、今後の予定を擦り合わせた。
ゼルダは終始忽然とした態度で臨んでいたが、引き返す際、私の肩にそっと手を置いて涙ぐんだ。
彼女の姿が見えなくなったころ、私はようやく涙を流した。
あのまま一緒に帰っていればきっと幸せだっただろう。けれど、私にはこの村の人々を見捨ててここを去るなんてできなかった。

「せっかくのチャンスをみすみす捨てたんだ。ほんと、君にはほとほと呆れるよ……アイ

リーバルはたしなめるようにそう言ったあと、「君の善意に感謝する」と胸に片翼をあて微笑んだ。
今まで見たことのない優しい笑みに、私の選択が間違ってないことを強く祈った。その笑顔こそ、彼の心根を映したものだと信じて。

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「君って、ほんとに馬鹿だよね」

先ほどの柔和な笑顔はどこへやら、小屋に着くなり彼はむすっとした表情で腕組みをした。それも無理はない。
私は慌てるあまりきちんとした防寒対策を怠り、上着を羽織って出てきただけだった。
寒空の下長時間そのような恰好でいたせいで、せっかく完治したはずの風邪をふたたびこじらせてしまったのだ。
そのせいで、今こうしてふたたびベッドに横になる羽目になってしまっている。
寒冷地に適応できない身体というのもつくづく不便なものだと思う。自分でここに残ることを選んだばかりだというのに、もう心が折れそうだ。

「まあまあ、リーバル様。アイさんもあなたのために必死だったのですよ。寝起きだというのに上着一枚で血相を変えて飛び出していったのですから」

「サキさん、言っちゃだめ……!」

小声でしーっと人差し指を立てると、サキは「あら、ごめんなさい」とウィンクした。

「ふうん、君がねぇ……」

リーバルは壁にもたれながらまじまじと探るような目つきで見てくる。

「ここに来てまだ1週間だっていうのに何回倒れれば気が済むんだい?人間ってやつはほんっと脆弱な生き物だよね。
まったく、足手まといにも程があるよ。まだ何の役に立ててもいないじゃないか」

普段以上に辛辣なお小言に胸を抉られているところに、サキについて様子を見に来ていたチューリがリーバルをビシッと指さした。

「リーバル様、ウソはだめだよ。姉ちゃんはボクたちのために一生懸命がんばってるって昨日言ってたじゃないか」

「なっ……チューリ!」

チューリの言葉に耳を疑うが、リーバルがあからさまに動揺しているのを目の当たりにして胸の奥が熱くなる。
私には直接そんな風に言ってくれたことなんてなかったくせに。

「嬉しいな……」

感極まってそうつぶやくと、リーバルは頬を少しだけ染めてそっぽを向いてしまった。

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アイが寝静まると、サキはチューリを連れて村へ帰っていった。
さすがは母親といったところか。チューリが幼いころよく熱を出していて看病をする機会が多かったせいか、アイの看病もなかなか手際が良かった。

リンゴのように赤く色づいた頬は少し色味が落ちついてきたようだ。安心しきったようにすやすやと無防備な寝息を立てる姿はどこかあどけなく。
こうして大人しくしてさえいれば、愛らしいものに……見えなくはない。

「まさか君からここに残ることを選んでくれるとはね。なぜそうまでして僕らを助けようとする……?」

そっと手を伸ばし、髪をなでる。羽毛とは違い一本一本がしなやかでつやがある。

「よく見てみれば、まあまあ綺麗じゃないか……」

思わず口から突いて出た言葉に、ぶんぶんとかぶりを振る。何を口走ってるんだ僕は。
慌ててアイから手を離し、机に備え付けられた椅子にドカッと腰を落とす。

頬杖をついて一呼吸つくと、思考を反らすのも兼ねて先ほどのハイラルの姫君とのやり取りを反芻することにした。

王の命により和平の盟約を記した書状を各地の名士に献上する役目を担っている。確か、姫はこんなことを言っていた。
つまり、ハイラル王は各地の統一をはかってるってわけだ。
それが本当だとすれば、リトの村を襲撃した兵たちは、一体何者なんだ?反旗を翻した輩か、あるいは……。

「あいつ……」

姫の脇に控えていた寡黙な騎士の後姿が、ハイラル城下町で炎の渦のなか見かけた者の姿と重なる。

「あの騎士は、あのときの……」

(2021.9.8)

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