リトの村に連れて来られてから一週間ほどが経った。
初日に体調を崩したのが嘘のように、次の日にはご飯もしっかり食べられるほどには回復した。
リト族は二足歩行をし同じ言語で会話をできるほどの知能を有しているようだが、鳥のような外見や特徴を持つため、てっきり食事は鳥のように木の実などを食すものだと考えていた。
確かに伝統的な料理など食文化に多少の違いはあれど、その点を除けば、彼らは人間と同じように料理をし食器を使って食事をするのだ。
反対に、私が彼らと同じものを食せるという点はリト族側も同じ驚きを見せた。
熱で倒れた日の翌朝、リーバルが朝食にリゾットを運んでくれた。口に合うかと尋ねられ、おいしいと伝えると、彼はなぜか気恥ずかしそうに「良かった」とため息をこぼした。
驚いたことに、サキに朝食を作らせようかと思ったところ、昨晩私が倒れたあと代わりに村民の手当てをしてくれていたため、疲れているだろうからとリーバルが自ら腕を振るったのだそうだ。
彼は日夜村の警護と鍛錬に励んでいるため、ほとんど料理をしたことがないらしい。どうりで私が食べているあいだそわそわと視線を送ってきたわけだ。
食文化の違いを考慮するよりも自分の作ったものが食せるかどうかの心配をするなんて。
町を襲い、村のためとはいえ一般人の私を無理に連れてきた彼に、心を許せるようになる日が来るとは到底思えない。
けれど、私は”リーバル”という人物を少し誤解しているのかもしれない。ほんのり薄味のリゾットに、彼の人となりを少しだけ垣間見たような気がした。
あれから私は朝昼はサキと行動をともにし村民の手当てにあたり、夕夜はリーバルの見張り付きで小屋で過ごすという生活を続けている。
サキは人間を見たのは私が初めてだと言うが、人当たりが良く穏やかで、種族間の隔たりを感じさせない。
私の普段の生活のことなどをこっそりと聞かれることもあり、むしろ人間に興味があるのではと思う。
けれど、私自身のことについて聞いてくることはあっても、私の身分などについては事情を察してか尋ねてこない。
そんな細やかな心遣いに、私も彼女にだけは心を許している。
今日の治療を終え後片付けが済んだところに、サキがお茶を用意してくれた。
甘酸っぱいイチゴの香りが湯気とともに立ち、温かいお茶が喉をすぎてゆくと、張り詰めていた心もほぐされるものだ。
「アイさん、今日もありがとうございました。あなたが熱心に対応してくださるので、村の者たちも少しずつですがあなたを受け入れようとしていますわ」
サキの言葉に苦笑が浮かぶ。傷が完治したことを喜び感謝してくれる人は少なからずいるものの、威圧的な態度を取る人や恨み言を残してゆく人も少なくはない。
けがの傷は簡単に癒せても、心の傷が癒えるのには時間がかかる。受け入れられていると言葉通りに受け止めるのはおこがましいというものだ。
けれど、それでも私を励ますためにそう言ってくれる彼女の優しさに少しだけ救われる。
「サキさんもご家庭があって大変なはずなのに、いつも手伝っていただいてすみません」
「いいのです。チューリは主人が面倒を見てくれていますから」
少しいじけたようにつんとそっぽを向いた彼女は、そんな自分がおかしかったのかクスクスと笑った。
つられるように私も口元が緩んで、互いに顔を見合わせて笑っていたが、ふとした拍子にサキの顔が曇った。
「アイさん、本当にごめんなさい……。迷惑をかけてしまっているにもかかわらず、健気にも私たちのために手を尽くしてくださることには皆感謝していますわ。あなたが一時でも早く国に帰れる日が来ればいいのだけれど」
「そんな!謝らないでください。きっかけはどうであれ、こうしてサキさんと出会えたことは本当に良かったと思ってます」
サキは目に涙を湛えて眉を下げ、そんな風に思ってくれているなんて嬉しいです、と微笑んだ。
「あなたが無事に帰ったあと、いつの日か、また二人で気軽にお茶を楽しめる日が来るといいですね……」
リトの村が襲撃されたとき、彼女の住まいも例外なく焼き討ちにされた。幸い焼け落ちるほどではなく、ご主人や子どもも無傷だったが、息災であろうとも被災者であることに変わりはない。それでもなお和平を望んでいるのだ。
夜ごと脳裏によみがえる町の惨状は、たびたび私のなかに黒く渦巻いて、抑えがたい怒りを起こさせる。
だけど……サキの悲痛な願いに、リーバルがあの日作ってくれたリゾットの味に、私も”いつか”を願わずにはいられない。
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村が襲撃を受けてから二週間。けがを負った村民の手当てが行われ始めたことにより、村の復興は順調に進んでいる。
それにより閉鎖していた飛行訓練場がふたたび開放されたらしく、村の警護を終えたあと、余暇にチューリを連れてやってきた。
そうして本当に良かったと思っている。
なんせ、日中は村の警護や周辺の調査にあたって不在の多いリーバル様が先客でいらっしゃったのだ。
今日から開放されていることは村の皆が知っているはずだが、利用者はなぜかリーバル様のみ。
リーバル様は尊大な物言いではあるが、その反面村の者には寛容だ。……彼の飛行術や弓さばきに見とれて終始見学する者はいるが、遠慮して利用をためらう者はいない。むしろそのような者がいたとしたら、「無駄な気遣いだ」とそれこそ嫌うようなお人だ。非常にわかりづらい優しさを持ったお方なのである。
彼の技を間近で拝みながら鍛錬に励むという状況は、まさに本人から直々にマンツーマンで指導を受けるに等しい。
頼んだところで面倒だからと断られるだけだろうし、教えてくれなどと頼める勇気もないが。
つまり、何が言いたいかというと、今日の俺はかなり運がいいということだ。
しかし、実際は圧倒されるばかりで場内に飛び込む勇気はなく。
チューリが何度も「父ちゃんとリーバル様が一緒に飛んでるところを見たい」とせがんできたが、その状況を想像し悶えそうになるのを堪え「黙って見ていなさい」とたしなめるので精いっぱいだった。
一時するとこちらに気づいたリーバル様が休憩所に舞い降りてきた。
ちょうど昼時を迎えたころで、一緒に食事でもどうかとお誘いを受けた。
断る理由などなく喜んでお受けすると、村の者から昼食にと差し入れをされたものの処分に困っていたので助かると彼は苦笑を浮かべた。
「リーバル様。ボクの母ちゃんは、ニンゲンと一緒にいるんだろ?」
臆することなくリーバル様に声をかけるチューリに頬張った握り飯を噴き出しそうになるのをどうにか堪える。
「そうだよ」とやんわり返しながら注いでくださった飲み物を一気にあおってチューリを制そうとしたところ、リーバル様は「でもね、チューリ」と続けた。
「”ニンゲン”呼ばわりはいけないな。なぜなら彼女には”アイ“という名前があるからね。
アイは、僕らのために一生懸命がんばってくれてる。そして君の母さんは彼女の仕事の手伝いをしてるんだ。
とても大変なことなんだよ。だから、今度は君も手伝ってあげるといい」
「そうなんだね。わかった、ボクも手伝うよ!」
チューリはリーバル様の言葉を真摯に受け止め、どんと胸を打った。
リーバル様からまさかそのような言葉を賜るとは思わず、俺まで感銘を受けて見つめていると、彼は困惑したように眉を潜め耳打ちしてきた。
「……僕がこんなことを言ってたなんて、口が裂けても広めるんじゃないよ」
「……承知しました」
意図的に損な役回りを引き受ける場合もあれど、この人の人柄というのは元より誤解を与えやすい性質なのだなと、我らがリーダーの不器用さに思わず笑みがこぼれる。
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サキのご主人であるテバと息子のチューリは、リーバルとともに訓練場に入り浸っており帰りが遅くなるとのことで、結局夕食までサキの家でご馳走になってしまった。
二人が帰宅したころ小屋まで送ってもらえたが、リーバルはなかなか戻ってくる気配がなかったため、帰りを待ちつつその日のできごとを日記につけていた。
無論、村内の情報は他言無用だ。内容は逐一確認されるため、とりとめもないことくらいしか書けない。場合によってはリーバルの尺度で黒く塗りつぶされてしまう箇所もある。
とはいえ、厳しい面はあれど能力は高く買ってくれてはいるようで、それにより多少の信用を勝ち取れたらしく、ここに来て三日目には手枷を解いてもらえた。
足首は相変わらず長い縄によりベッドと繋がれてはいるものの、自分で暖炉に薪をくべたり、読書をしたり、こうして日々の記録をとったりと、小屋のなかでは多少自由にさせてもらっている。
ちょうど日記を書き終えたタイミングで、窓がガタガタと揺れ、リーバルが戻ったのがわかった。
乱暴に開かれた戸に、少しだけ緊張が高まる。
リーバルは、初日に私が倒れた際に彼を引き留めるようなことを口走ってしまったせいか、以来、私が何も言わずとも夜は側にいてくれるようになった。
その点においては律義だと思うが、心細さを感じずに済んでありがたい反面、彼と常に同じ空間にいることで気が張り詰めてしまうという、何とも複雑な心境だ。
異種族とはいえ男女が二人きりで夜をともにすることについても、職業柄、不健全だと感じずにはいられない。
そう申し出れば、彼は恐らく女性を見張りにつけ、自分は外の番に立つのだろう。
けれどそこまでさせてしまうのはさすがに申し訳ないし、これ以上文句をつければ、今より制約が厳しくなってしまうこともあり得る。
それに、仮にも女である私と二人きりの空間だというのに、彼は意識する素振りをまったく見せない。
だからというわけではないが、私も変に意識することなく、この状況に少しではあるが慣れつつあった。
「まだ起きてたのか」
「はい……日記をつけていました」
私が答えているあいだに横からさっと日記を取り上げ、内容に目を走らせる。
かれこれ数日経ちはするものの、本来密やかに書くものを、こうして毎度確認されるということには慣れそうもない。
見られて恥ずかしいことは何ひとつ書いていないものの、自分の心情を覗かれている気がするからだろうか。それとも、この男が私の心を覗き見ながら何を考えているのかが一切見えないからだろうか。
紺の二の腕から微かに香る獣のようなにおいと、雪のにおい。凍える風のなかを飛んで帰って来たのだろう。小屋に入ってくるときの白い吐息を思い出す。
リト族は温かい羽毛に覆われているからこの極寒地に適応できるのだとサキが教えてくれたが、それでも彼の体の表面から感じる冷気にとても平気だとは思えず。
私の肩にかけていたストールを肩にかけてやると、リーバルはひどく驚いたように目を見開いて、勢いよく距離を取った。
その拍子にストールがふわりと床に落ちてしまう。
「勝手に触れるな」
「あれからずっと訓練場にいらっしゃったようですし、体が冷えているんじゃないかと思って。
お気を悪くしたのなら謝ります。ごめんなさい」
軽率な行動により空気を悪くしてしまったことを悔やみ、気を落としている私の頭上で、彼がため息をこぼした。
「……僕らに防寒具は必要ない」
呆れたような声とともに腰を屈めた彼に、びくりと肩が震える。けれどその手は私が取り落としたストールを拾っただけだった。
すっと差し出されたストールを「ありがとうございます」と受け取りながら、ふと右手の二の腕に包帯が巻かれていることに気づく。
「その腕……おけがをなさったんですか」
「ああ、これ?ほんのかすり傷だよ。気にするな」
かすり傷だという割には、包帯をさすってみせたときに少し顔をしかめていた。我慢しているだけできっと強い痛みがあるのだろう。
「そういうわけにはいきません。傷を診せてください」
食い下がると、苛立たしげにため息をつきながら「必要ない」と返されたが、構わず包帯の結び目を引く。
そこまでされるとは思わなかったらしく、あっと声を上げたが、私が包帯を外し始めると、観念したように椅子に座った。ほっとしてかたわらに膝をつく。
包帯を取り終えあらわになった傷口に思わず口元を覆う。傷口は羽毛がはがれて赤く血がにじみ、化膿しかけている。
「……痛かったでしょう。大丈夫、すぐに痛みが取れますから」
努めて優しく声をかけると、彼はチッと舌打ちをして、机に片肘をついた。
右手を支えながら傷口に手をかざし、そっと口ずさむ。
私が歌を奏で始めると、淡い光越しに彼が視線を寄越してくるのに気づいた。
治療するあいだ傷口が塞がっていくのを不思議そうに眺める人はいても、歌う様子をまじまじと観察されるなんてことはなかったため、なんだか少しくすぐったい。
だめだ、意識し過ぎると緊張で声が出なくなってしまう。視線から逃れるように傷口を見据え、音程をとることに集中する。
傷口が塞がり羽毛が生えそろったことを確認すると「終わりました」と告げ、解いた包帯やガーゼを片付け始める。
「まさかこんなに早く完治させてしまうとはね。手放すのが惜しくなるな」
どきり、とする。いつか解放する可能性を示唆しての言葉だろう。他意などないことくらいわかっている。
「このくらいの傷であれば、ヒーラーであれば簡単に治せるもの……」
視界がちらつき、よろめく。
瞬時に伸びてきた力強い何かにより背中を支えられた。リーバルが咄嗟に腕で支えてくれたのだ。
間近に迫ったくちばし。目の前で煌めき揺れ動く翡翠に、だんだん頬が熱くなってゆく。
「す、すみません」
慌てて体勢を整えようとしたが、彼が背中に添えた手を肩に回したことにより阻まれてしまう。
「え?」
驚いている間に膝の裏に腕を差し込まれ、軽々と抱き上げられてしまった。
「ちょっ……何をするのですか!?」
「うるさい」
鋭い言葉とともに細められた瞳孔に間近で睨まれ、ぐっと押し黙る。
荒々しく布団をめくる動作に戸惑いつつされるがままになっていると、思いのほか優しい動作でベッドに横たえさせられ拍子抜けする。
「ちょっと力を使いすぎたんじゃないか?」
気恥ずかしいのを隠すように、そっとかけられた布団を首元まで引き上げる。
「このくらい、何とも……」
「君が良くても僕が困る」
かぶせるようにして真剣にそう言われ、またどきりとしてしまう。
「無理をしてまた倒れられでもしたら、そのぶんだけ治療に遅れが出るんだ。そのくらい言われずとも自覚を持ちなよ」
「……わかってます」
ぼそりとそう答え視線を落とした私に、頭上からくつくつとせせら笑いが降り注ぐ。
「まさかとは思うけど……」
頭上に影が落ち、視線を上げた私は、今度こそ羞恥で満たされ目を見張った。
「その目、僕を男として意識してるんじゃないだろうね?」
「は……?」
「ま、それならそれで好都合だけど。君が僕に好意を寄せれば、きっと国に帰るのをためらうだろうし、こちらとしても君の願いを聞き届ける理由もなくなるわけだからね」
白い指先にするりと頬をなでられ、顔がこわばる。
怪しげに細められた切れ長の目。不敵に弧を描くくちばし。
私の首筋にするりと下ろされ始めた指先の柔らかな感触に、じんわりと目に涙が浮かぶ。
なぜかはわからない。怖い、とはまた違う。けれど、なんだかすごく悲しくなってしまった。
私の様子を愉しげに見下ろしていたリーバルは、変化を察して途端に目の色を変えた。
「ちょっ……ただの戯れじゃないか。泣くほどのことじゃないだろ」
慌てて上体を起こし、うろたえるようにそう言った彼は、ぱっと手を離した。
「けど、まあ……今のはさすがに冗談がすぎたな。悪かったよ」
「いいえ……ちょっとびっくりしただけですから」
そう言うと、リーバルは驚いたように私を見つめたあと「君ってほんと変わってるよね」とあざけるように笑った。
そんな彼の言い草に、酷いことをしておいて何をと思ったが、反面、自分でも驚いている。
なぜだろう。心を許しているわけでもない男性に触れられることは嫌なはずなのに、なぜか不快感は感じられなかった。
少し驚きはしたものの、温かな指先に心地よささえ感じていた自分に、ひどく戸惑う。
「僕はもう眠る。君も早く寝て体調を整えるんだね」
そう言うが早いか、リーバルはさっと三つ編みを解くと、照明を消し床に横になった。布団から下を覗き込むと、暖炉の炎に照らされ腕枕をする後姿が目に入る。
その翡翠は赤い縁取りに包まれるようにして閉ざされている。思えば彼が眠るところを見るのは、このときが初めてかもしれない。
「……おやすみなさい」
三つ編みの型が残るねじれ髪にそう声をかけると、ふん、と憎たらしく鼻で笑われた。
それを返事と捉えて背を向けた私の耳に、微かな声で「おやすみ」と届く。
先ほどの彼の行動には驚かされたが、たったこれだけの何気ないやり取りに、嬉しさを感じてしまうくらいには、憎めなくなりつつある。
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その知らせは、唐突なものだった。
翌朝、何やら村の方角が騒がしいことに気づいて目を覚ましたころ、サキが慌てた様子で小屋に駆け込んできた。
リーバルの姿がすでに見当たらないことに嫌な予感を覚える。
「アイさん、大変です!ハイラル城から旅団がお見えになり、リーバル様が……!」
涙ぐんだ彼女にただごとではないと瞬時に悟り、急いでベッドから身を起こした。
(2021.9.7)